答えはあなたの中にある!?

立場上、いろんな方のいろんな悩みを伺います。
家族関係の事、
人間関係の事、
ビジネスの事・・・。

 

これらは、多くの場合「絶対正しい」という回答はない事が多い。
だから難しいともいえるのかもしれません。

 

たとえば、ある方はこんな相談でした。
社内の社長と、ナンバー2である専務の関係について。
この二人、仲たがいをして一切会話がないそうです。
それを取り持つ、経理の方としてはなんともむず痒い状態です。

社長と専務は、その経理担当の方を通じてしかコミュニケーションできないわけです。
経理担当の方にとって、自分がその役割を担う事については決して嫌ではない。
とはいえ、会社のこれからを考えると、このままではいけないんだと思う、とのこと。

 

どうやら、社内において、社長も専務も、誰の意見も聞き入れない。
唯一、その経理の方のはなしだけは、そこそこちゃんと聞いてくれるそうです。
これ、どうすればいいでしょうか?
そんな相談が持ち込まれました。

 

まあ、現場を知らないとはいえ、そうなった経緯を丁寧に伺っていくと、見えてくる人間関係はあります。いくつかアドバイスできそうなこともないわけでもない。
ただ問題は、そのアドバイスを受け入れるかどうかは、自分次第なわけです。

 

実はその経理の方、あまり社長と専務の関係には深入りしたくないようなのです。
会社の将来云々という話をされていますが、実際のところは会社のトップ2の橋渡し役という立場が自分にとって重かったようなのです。
早い話が、ケンカならほかでやってよ、って感じなわけです。

 

こんな時に、社長と専務の間にどっぷり入って、関係改善を目指しましょう!という提案をしても経理担当の方は、「はあ、そうですね」なんていいつつ、多分結局は動かない。
どんな素晴らしいアドバイスも、本人の本当の想いと合致しなければやらないんです。

良くある話ですが、社長が会社の売上を上げたい、と考えたとします。
方法はいっぱいあります。
じゃあ、今までのやり方ではこれが限界だから、こんなことをやりませんか?と提案したとします。たいていは、「なるほどー」なんていいながら、実際はやらない。
なぜなら、会社の売上を上げたい以上に、自分とその周囲を変化させたくない、という思いの方が強いのです。自分にとって嫌なことを一切寄せ付けず、誰かのサポートで売り上げが良くなればいいなぁなんて思っているわけです。

 

こんな事例からもわかるとおり、人は自分が本当にやりたいとか、やれると思った事でなければ行動に移すことはあまりありません。そんな時、どんな画期的なアドバイスも、多くの場合は「いいね」なんていいながら消えていくのです。

しかし、面白い事に、こういう方に質問返しをしてみます。
「あなたは、どうすればいいと思いますか?」と。
すると、とつとつとしゃべりだすんですね。自分がやるべきことを。

 

ああ、じゃあそれ、やればいいじゃないですか。
あなた、答えもってるじゃないですか。
何て言うと、本人、ハッとします。
実はすでに自分でやるべきことがわかっていたり、決めていたりするものなんですね。

しかし、今一つ踏ん切りがつかないのは、
もっと楽な方法があるかもしれない
もっと効果的な方法があるかもしれない
そんな期待感から、専門家に話をききたがるわけです。

 

ただ、実際は、楽して儲かるとかいう類の話はありませんし、苦も無く人間関係の問題を解消なんて言う話もありません。あとは、そこへ向かう方法として、自分として納得感があるか?自分でできそうだと思えるか?という部分だけなんですね。

 

結局、技術的な問題は専門家のアドバイスで良いやり方は見つけられるかもしれませんが、それ以外の部分に関しては実は、自分の心の奥底に持っている方法がもっとも手を付けやすい事がほとんどなんです。つまり、相談を受けた側としては、あれをやれ、これをやれ、というより、その奥底にある解決を引き出してあげて、背中を押してあげることが一番大事なんじゃないかな、という風に思います。

やらないことは結果が出ない。
人から提案されたことはやらないことが多い。
それならば、自分で持っているこたえ、たとえ稚拙であったとしてもやり始める方が結果が出やすいんじゃないでしょうか。
色んな人を見て、そんな風に感じるのです。

 

殺伐としたオフィスが出来上がる過程

ある保険代理店の事務社員が、こんなことを言っていました。
「保険会社に電話しても、朝礼とか会議とかで、なかなか話が出来ないんですよね…。」
その話、当社も保険代理店をやっているからよくわかります。

平気で、朝礼だから、会議だから、と急ぎの電話も取ろうとしない。
保険会社は売り上げの多くを保険代理店が作ります。
保険代理店はお客さんと直結しています。
つまり、保険会社にとって保険代理店の連絡は、お客さんに関わる話である可能性が高い。
にもかかわらず、何よりも朝礼や会議を優先させる。
いわゆる「顧客ファースト」という感覚からはちょっとずれている気がしないでもありません。

 

そういった大きな会社の中では、一人の顧客に貢献するよりも、上司に嫌われないようにした方が評価が上がる。
そんな文化がある可能性もあるでしょう。
つまり、動機の強さは、顧客のために働くというより、上司のために働く。
もっといえば、自分の保身のために働く。

 

さて、そんな彼の上司の仕事は何でしょうか?
数字達成のための部下への尻たたきだと思っているケースが意外と多いのです。
となると、会議は以下に部下の数字が足りないかを”身をもって”知らしめる時間となりがち。
そりゃあ、メンタルヘルスの問題を抱える社員も出てくるはずです。

 

本来、上司は部下を育てるのが仕事であると考えられるのではないでしょうか。
では育てるというのはどういうことでしょうか。
今、多くの企業で繰り返されているのは、部下に負荷をかけて育てる、ということ。
とにかくノルマを課して、それができなければできるまで追い込む。
残業は増え、社内は殺伐とし、おもったほどに業績は上がらない。
うつ病で休職する人が増え、いじめのような会議のために顧客とのビジネスの機会損失がおこる。

 

上司は1000万円の報酬を受け取り、会社に2000万円の損害を恒常的に与えている。
そんなことだって起こっていないとは言い切れないかもしれません。

 

一昔前は、俺の背中を見て学べ。
そんなこともあったのでしょうが、果たして自己保身に走り、部下をモノのように扱う上司の背中に、学ぶべきものがあるのでしょうか。

 

もう一つ問題があります。
モーレツサラリーマン時代であれば、生きていくためには会社に残り出世するしか方法はなかった。しかし今では、会社をクビになったって即座に死を意味するわけではない。生きるだけなら健康でさえあれば、何なりと方法はあるわけです。

選択肢が今の会社で生涯を暮らすこと、というもの一つではない。
そうすると、働く意義というものを探さざるを得なくなる。

 

こういった部下を導くことを、コーチングといいます。
コーチングの前提には信頼関係が必要です。
NLPではそれをラポールと呼んでいます。
そのラポール構築のために、NLPのテクニックを使うことももちろん一つの手段です。
ただそれを飛び越えた話をさせて頂くと、上司は部下の何を知っているのでしょうか。

 

男か女か?
名前や役職?
住まいや生まれ故郷?
家族構成?
ちょっとましな上司なら、誕生日くらいは覚えているかもしれません。

ただこれって、ただの”情報”です。
何を知るべきかといえば、社員がもっている価値観です。
それを知ることで、社員を伸ばす方法が見えてきます。
ぎゃくに、それを知らずして伸ばせるはずがない、と私は感じているのです。

 

その価値観を上司に開示すれば、部下は上司に全幅の信頼を置くようになる可能性は高まります。上司のために働きたい。そう思ったときの人間の成長は、あり得ないぐらい目を見張るものがあります。

 

うつ病での休職が続出するチームと、目を輝かせて仕事に打ち込むチーム。
あなたならどちらを選びますか?

「断れない」性格の根源にあるもの

人の頼みごとを断れず、いつも大変になるんです。

こういう方、結構いらっしゃいますね。
けど、国語的に言うと正しくない。
人の頼みごとを断る方法はだれしも知っています。
単に「NO」といえばいいだけです。

 

しかし断り切れない。
これは断ることができないではなく、断らないのです。
やりたくないけど、断らない。
人間って不思議な生き物ですね。

 

じゃあ、なぜ断らないのでしょうか。
そこは少し事情が複雑で、
・断って嫌われたくない
・仲間外れにされたくない
・嫌な奴と思われたくない
・断ることで罪悪感を感じたくない

エトセトラ、エトセトラ・・・

 

つまり、断らないことで享受できるメリットがあるわけです。
断らなければ
・嫌われない(かもしれない)
・仲間外れにされない(かもしれない)
・嫌な奴と思われない(かもしれない)
・罪悪感を持たない(かもしれない)
という自分に有利な状況がある事を想像しているわけです。

 

このように、習慣化している行動の影には必ず何かしらのメリットがあります。
逆に、メリットがなければ同じ行動をとり続ける事ができません。

 

さて、ここで考えたいことがあります。
それはNLPでもよく使う言葉「ビリーフ」についてです。
ビリーフという言葉、訳すと「信念」となります。
信念なんていうと、「信念をもってやり抜く」なんていう使い方をイメージすると思いますが、NLPでは微妙にニュアンスが違います。

どちらかというと、「思い込み」といったほうが理解しやすいと思います。

 

この思い込みというのが、時に厄介です。
先程の話に戻ると、前提として、頼みごとを断れば、
・嫌われる
・仲間外れにされる
・嫌な奴
・頼みごとを断るのは良くない事
という前提があります。

 

果たしてそれは本当ですか?
多分事実ではないでしょう。
出来ることと出来ない事をハッキリ主張することで、「この人ははっきりしていてわかりやすい」と評価を受ける事だってあります。
また、頼み事なんて、先方の都合で行ってくるものですから、それを断ることが悪い事だなんて、洗脳めいた思い込みです。

他人をよく観察してみてください。
意外と、あなたが思うよりあっさりと、頼まれごとをスルーしている人、けっこういると思いますよ。

 

ただやっぱり、関係性によっては嫌われることもあります。
けど、単にこちらの意志で物事を断っただけで嫌われるって、相手はあなたを友達としてじゃなくて、奴隷としてみてるんじゃないですか?という風にも考えられます。
あ、もちろん、極論ですけどね。

 

こうやって見ていくと、「断れない」原因は、自分の中のビリーフにある。
そしてビリーフを突き止めると、実は子供のころなどの心の傷や、
常に言い聞かされてきたことに突き当たることがあります。

たとえば、長子の場合「しっかりしなさい」という親の期待の中で育っている。
だから人に頼るのが苦手だったり、失敗することに異様に恐怖を感じ、そのせいで新しい事にチャレンジできなかったりすることもあります。

 

「やりたいことがわからない」という人も同様で、自分の奥底にあるビリーフに気づかないよう感情にふたをすることで自分の本心を見えなくしてきています。そうやって自分を守ってきたのです。
信じられないかもしれませんが、常にダメ男ばかりと付き合っているとか、付き合う女性は自分を金づるにしようとする人ばかり、というケースもビリーフと深い関係性があることが多いのです。

 

さて、実は大人になっても、自分自身のビリーフに気づいている人は少数派です。
だから常に同じような問題に頭を悩ませるのです。
勘のいい人は、その事に気づき、自分の奥に深く沈めたビリーフを掘り起こそうと頑張ります。
ヨガ、瞑想、内観、セラピーやカウンセリングなど、アプローチ方法は様々です。
自分に合ったものを選択すればよいと思いますが、NLPを学ばれる過程で、多くの方がご自身のビリーフに気づきます。

NLPを学ぶと、人生のステージが上がると言われるのは、NLPで対人関係をよくする以上に、自身のビリーフに触れられることの方が大きいのではないか、と私は感じています。

 

そんな自分に触れるために、NLPを学んでは見ませんか?

それは私たちの業界ではできない・・・ってホント!?

会社の経営をやっていたり、経営幹部だったりする人と話していると、
ちょっと「ん?」と思う事があります。
別の業界の成功例を見て、
「あぁ、ウチの業界ではそれ、無理ですね」
と即答する。

 

それ、本当でしょうか?
実は、その方の業界で、普通にやってる人、知ってるんですけどね・・・。
確かに、応用できない業界とか、応用できないスキルってあるとは思います。
けど、即答するということは、
可能性について考えていない
ということではないでしょうか。

考える前に、否定しているように見えるのです。

 

これは仕事に限った話ではありません。
家族との対話、出来ませんか?
もう一度、違う方法考えられませんか?
うまくいく方法、考えてみませんか?
そんな風に聞くと、
それ、無理です。
と即答する。

 

こういう人が成功しない理由は、能力やスキル、ノウハウの問題ではないんです。
可能性について考える前に、出来ない理由を思い描いているのです。
結果、何が起こるかというと、行動が変化しない。
行動が変化しなければ、身の回りで起こることも変化しない。
身の回りで起こることが変化しなければ、どこか満たされない気持ちも変わらない。

 

人生を変えるには、行動を変える必要があります。
行動を変えるには、考え方を変える必要があります。
その考え方を変えるのに非常に有効とされるスキルの一つがNLPです。

「ウチの業界ではむり」
といった人は、自分で自分を制限している事に気づいていません。
そもそも、考える前に”反射”で否定する事にも気づいていません。
まずは、その反射的に可能性を否定する癖に気づく必要があります。

NLPにおいては、その癖に気づくというか、自分の視点がどのあたりにあるかを気付くワークがあります。そういった事で自分が何を見て、物事を判断しているのかを知っていただきます。

 

そう、まずは、自分の今の状態を知ることから始めるのです。
すると、もう少し踏み込んで考えれば答えが出るかもしれない問題を、反射的に”無理”とはねのけることをしていればそこに気づきます。そしておこる変化は、「出来るとすれば、どんな方法があるだろうか?」という思考になります。

方法に気づけば、行動が始まります。
行動が始まれば、周囲の反応は変わります。
いいか悪いかはひとまず置いておいて、そこで変化を経験します。

 

経験した変化は、実践知として脳をバージョンアップしてくれます。
この時点で、やったことのないあなたから、経験済みのあなたにすでに変わっているわけです。
そういった事を積み重ねることで、きっとこう思うでしょう。

「あの時考えていた自分と今の自分、ずいぶん違うよな。これだけ自分が変わることができたのは、あの時、”無理”と反射的に応えていたことを”できるならどうするか”と変えた小さな一歩から始まっている」

そんな風に実感するのだと思います。
人が歩いた後に道はできるものです。
あなたが作る新しい道は、どこに続いているのでしょうか?

いや、わたしなんて・・・謙遜の文化が成功を遠ざける!?

おきれいですねー。
お若いですねー。
凄いですねー。

こんな誉め言葉、頂く事もありますよね。
そんな時、あなたはどう反応しますか?

ブンブンと首を振って、
「いえいえ、そんなことありません」
「私なんてまだまだですよ」

いわゆる謙遜ってやつをするんじゃないですか?

 

まあ、日本の文化の中では、謙遜こそが美しいとされてきました。
ただ、それ、ちょっと気をつけたほうがいいかもしれません。

せっかく、きれいだね、わかいね、すごいね、とほめてくれているのです。
仮にそれが社交辞令であったとしても、私たちは相手にその言葉を強要したわけでも何でもありません。
相手が勝手に、自発的に言っている言葉です。

 

そんな言葉は、有難く受け取っておくのです。
「ありがとうございます」
その一言でオッケー。

 

実は、これ、心理学的にも非常に重要な事なのです。
なぜかというと、自分を低く評価する習慣は、自分を小さいにんげんだ、と脳にインプットするようなものです。

ニューヨーク大学でこんな実験が行われました。
学生に作文をさせました。
あるチームは、「しわ」「忘れっぽい」「白髪」「杖」など老人をイメージさせる言葉を組み込んだ作文をさせたのです。
その結果、老人言葉のチームは他のチームより歩く動作が遅くなったといいます。

 

だから、頂いた誉め言葉は、たとえお世辞であったとしても気持ちよく受け取るのが、心理学的には正解なのです。

 

そんなときに、ふっと不安になるでしょう。
明らかにお世辞で言っているのに、真に受けたら笑われるんじゃないか・・・?と。

まず、こちらから見ればお世辞に見えることが、その発言をした相手が本当にお世辞で言っているのかどうかはわからないものです。人間、自分の長所はよくわからないものです。なぜなら、何の苦労もせずにできてしまうからです。

たとえば、文章が苦手な人からすれば、1000文字程度のこんなブログを書くことに2時間も3時間もかかる場合があります。そんな人が、「このブログ、大体15分くらいで書いてる」なんて聞けば驚きでしょう。

けど、15分で書いてる人にとってはそれが当たり前。
皆もっと早く、立派に書いてるんじゃないの?と思いこんでるわけです。
だから、お世辞に聞こえても、お世辞ではない事というのは結構あるものです。

 

もう一つは、真に受けて笑われることをなぜ恐れるのか?ということ。
相手が勝手にお世辞を言って、勝手に笑っているとしたら、それで私たちに失うものがあるのでしょうか?
ん?自尊心?
確かにそういう一面はあるかもしれません。
けど、陰で笑ってることなんて、私たちに害を及ぼすことがないから、放っておけばいいとは思いませんか?
そう思えない、という事は、自分が自分を認めてあげられていない、という事です。

 

他人から見て自分がどう映るかを重視するあまり、自分としてどうありたいかを忘れてしまっているパターン。他人にどう思われようが、好きに日々を送ったほうが楽なんです。本当は。

 

ただ、すぐにそうなれと言っても難しい。
それは、お世辞を真に受ける事が恥ずかしい事だ、というバカバカしい思い込みを生れてから今までずっと持ち続けており、それが恥ずかしい事だと自分に言い聞かせてきた歴史があるからです。だからある日突然変化するのは難しいかもしれません。しかし、その変化となるきっかけをつかむことができれば、徐々に強制できます。

 

そうやって、心の扉が開かれていくと、たいてい言われます。
「あの人、変わったな」と。
それで離れる人もいるし、新たに繋がる人も出てきます。
これが人生のターニングポイントになる事と思います。

 

もし、今の生き方に苦しさを感じているとしたら、そんな変化のきっかけをつかんでみませんか?

感情をコントロールすると事実のとらえ方が変わる

実は私の友人(女性)が、自宅に帰ったとき、事件は起こりました。
たまたまいつもと違う時間に、家に帰り、リビングで物音を聞いたためそこへ視線を移す。
カーテンの向こうでは人影がさっと動きます。
顔を見ると深く帽子をかぶって、顔が見えない。

ドキドキしながら確認すると、リビングの窓のガラスが割られていたそうです。
幸い二重ガラスだったので、泥棒はあきらめて去ったようす。
ドキドキとなる心臓、息は浅く、手は震える。
一瞬止まった思考が再び回り始め、急ぎ警察に電話をしたといいます。

 

警察が来るまでは、生きた心地がしなかったといいます。
たぶん、向こうから家のなかは見えていないはず。
自分の存在さえ気づいていなかったと思うのですが、また来たらどうしようとか、不安ばかりが押し寄せます。

 

暫くして、警察が到着したときには、ホッと胸をなでおろしたといいます。
それでもどんよりした気分は、一日引きずります。
そんな矢先、今度は子供が熱を出す。
ああ、なんだか嫌な事ばかりおこる。

そんな風に思い始めると、もう、目に見える世界がなんかブルーなんですよね。
どこかしら明るさがなく、どんよりしたシーンに見えてしまうものです。

 

そこで彼女は思い立ったようです。
よし、笑おう!と。
行った先が吉本新喜劇(笑)

 

まあ、笑いこけたようです。
で、何が起こったかというと、
そんな嫌な思いで、すっかり忘れてしまったってこと。
笑う前と後では、見える世界が違ったといいます。

次々と訪れた嫌な出来事も、もうすっかり忘れてしまって、今は元気に毎日を過ごしています。

 

なんだか流れが良くないな、と思うときは笑うのがいいようです。
実は、笑う事で病気が治ったという報告さえあります。
何が言いたいかというと、自分の感情をコントロールすると、事実は変わらなくとも、見え方は変わります。

 

感情を選択するのは、他でもない、自分だといいます。
たとえば、不快な事実が発生したとき、その事にいつまでもとらわれて、嫌な感情を延々と引きずるのは、自分がそういう感情を選択しているという事です。
不快なことがおこっても、スイッチを上手に切り替える人はいますし、そうすると長い時間不快な状態にいることはありません。

常識はずれな隣人がいたとして、その人のせいで一日カリカリするのも、
隣人のことなど気にせず、自分の時間を大切にするのも、選択をしているのは自分です。

 

そういった選択は、たいてい、なにか「得をする」からしている事が多いと言われています。
カリカリと怒っている事で、いたわってもらえるから怒るのかもしれないという事です。
合理的に考えれば、他人の事でいつまでも不機嫌でいても、自分は何の得にもならないからです。

ただ、人間というのは、何事も合理的に判断できるものではありません。
また、あふれ出す感情を、いきなりコントロールしろ、といっても難しいものです。
だからまずは、なにか、コントロールできない感情が前面に出てきた時、「この感情をあらわにすることで自分はどんな徳をしているのだろう?」と問いかけてみると、いずれその感情の正体がわかるときがくるのだと思います。

 

さて、人は笑っているほうが、身体的にも精神的にもよい効果があるようです。
できる事なら、日々笑って過ごしたい。
しかし、目の前に起こることは笑えるような楽しい事ばかりではありません。
その事実を変えることはできませんが、事実をどうとらえるかは変えることができます。
泥棒が来て、恐れおののいていた友人が、笑いでその恐怖を払いのけたように、
あなたも、望まぬ感情は吹き飛ばすことができるはずです。

 

NLPは心の動きを科学します。
といっても決して難解なものではなく、実際の体験を通じてそれを学んでいきます。
そんなセミナーで、心の構造を学んでみませんか?
きっと、ずいぶん楽になることが出てくると思いますよ。

 

新しい事を始めたときのカ・イ・カ・ン

あなたは、最近、何か新しい事をはじめたりしましたか?
もしそうだとしたら、ちょっと思い出してみてほしいのです。

たとえば・・・

ずっとやりたいと思っていたダイエットにチャレンジし始めたとき。
長年、気になってはいたけど、なかなか踏み出せなかったフィットネスクラブの入会。
子どものころやりたいと思っていたギターを買ったとき。
読書習慣をつけようと、一冊の本を手に取ったとき。
英会話を勉強しようと、英会話プログラムを購入したとき。

 

まだ本格的に始めていないにもかかわらず、なんとなく嬉しくなった記憶、ありませんか?

 

もし最近、そんな経験がないとしたら振り返ってみてください。
初めての一人での買い物。
電車に初めて乗ったとき。
祖父母の家に子どもだけで行ったとき。

 

その達成感で、にんまりしてしまった思い出、誰にでもあるのではないでしょうか。
私なんか、人前にもかかわらず、にやける表情を隠しきれず困ったものです。

そんな時、なんだか、今までの自分から一皮むけた感覚というのでしょうか。
今までのオレ、今までの私とは違うんだ。
なんとなく、昨日の自分と違う自分を発見した記憶、あるんじゃないですか?

 

別に、けた外れの成功!ってわけでもないんです。
一気に年収の桁が上がったわけでもないし、30Kgのダイエットを達成したわけでもない。
実は、成し遂げたときよりも、小さな一歩を踏み出せた時の方が、案外うれしい事が多いのではないでしょうか。
このほんのちょっと、自分が進化した感じ。
これが結構うれしいものなんです。

 

このニンマリする感じ、味わうためには、ちょっと躊躇している事に一歩踏み出すだけでOKです。
今まで、やろうと思っていたけど、出来なかったことに取り組むだけでOKなんです。
結果は、あんまり関係ないんですよね。
だって、やり始めたときにはまだ結果は出てないんですから。

 

それでも、何かを始め、続けさえすれば、結果はついてきます。

今の生き方で、何の不満もなければそんなチャレンジ必要ありません。
しかし、もっといい人生をもとめるとか、
今のままではちょっと・・・
という思いがあるとしたら、今までと違った事を始める必要があります。

それは、早寝早起きをするという小さな習慣かもしれないし、転職するとか起業するという大きな決断かもしれない。
人によってそこは様々ですが、なによりまずは小さな変化を起こすことが必要です。
そして、その小さな変化は、あなた自身の悦びにつながります。

 

季節の変わり目を迎えた今、あなたも人生のターニングポイントに立っているのかもしれませんよ。

 

不満はないけど満たされない人生を送っているとすれば・・・

仕事の環境は、絶好調とはいいがたいけど、悪くもない。
幸いに、サザエさんのテーマ曲を聴いても憂鬱というわけではない。
家庭の人間関係も、サイコー!とは言えないものの、悪くもない。

ただ、何かが足りない気がする。

朝目覚めると、歯を磨いて服を着替えて会社に出勤する。
会社では与えられた仕事を粛々とこなす。
休憩時間や昼休みには、周囲の人間と談笑し、時折彼らと飲みに行く。
その時はそれなりに楽しんでいると思う。

ただ、何かが足りない気がする。

趣味といえるものもいくつかある。
休日にはゴルフに行ったり、映画に行ったり。
スポーツジムで身体を鍛え、たまにはおいしいものも食べに行く。
決して、生活に困っているわけでもないし、それなりに楽しんでいる。

ただ、何かが足りない気がする。

 

そう考えて、自己啓発の本などを開いてみる。
目に飛び込むのは、目標を明確にせよ、とのこと。
目標か・・・。
年収が三倍くらいになったら、いいかもな。
思いつくのはその程度。

ああ、マイカーがベンツとかだったらいいかも。
欲しい時計があるんだよな。

それらがなくても、そこそこ満ち足りた生活をしている自分に気づく。
自分が本当に欲しいのは、こんなものじゃないのかもしれない。

 

ある時に、無謀なチャレンジをする人たちの事がテレビで報じられていた。
〇歳にしてエベレスト登頂、
一念発起して会社を立ち上げた、
自転車で日本一周!、
激しく政治運動に燃える若者、
仕事をなげうってボランティアに励む人々。

そんな人たちを
「なんでそんなことするんだろう。。。」
と嘲笑気味に眺める自分。
自分は安定している今が幸せ。
そんな風に言い聞かせながら、視線を落とす。

 

それでも消えない、人生に不足しているモヤモヤした感情がある。
その正体が、自分でもわからないのだけど、このままではいけないような気がする。
かといって、独立起業を目指すようなリスクはとりたくないし、
世界を冒険するなんてありえない。
頭の中で否定する。

 

一つ、おせっかいをさせてください。
長い間、なにかモヤモヤしたものを感じているとしたら、
あなたはそろそろ変化をするタイミングなのかもしれません。

そのモヤモヤの原因は、小さいころにあなたが押し込めてからの中に閉じ込めた本当のあなたが殻の奥底でもがいているのかもしれません。
「僕はここにいるよ。僕を出して。」

 

人は成長の過程で、社会と折り合いをつける方法を学びます。
子どものころ素直に、「やりたい!」と主張したことは、「我慢しなさい」とたしなめられていたことがたくさんあるでしょう。仮に歌を歌いたい!とおもっても、頭の中のもう一人の自分がこういいます。「年甲斐もなく・・・。お前には今の仕事があるだろう。」と。

もしかしたら、書くことを仕事にした、絵をかきたい、ダンスをしたい、
いろんな思いを殻の中の自分は駄々をこねているのかもしれません。
しかし、大人になった私たちは、そんな駄々っ子の自分を「見ないふりをする」習慣を身に着けています。

 

だから、あなたの考える常識を外れた欲求は、即座にあなた自身が打ち消すのです。
「自分は本当はこんな仕事がしたい!」と思ったものを「なにをいってる。ここまでの地位をえて今さら転職や起業なんてできるはずない」と押し込めているのです。

抑えたあなたの感情があなたの心を揺さぶります。
あなたが、「何か足りない」と感じるのは、心の中に閉じ込めた本当のあなたなのかもしれません。それを解き放つとき、何が起こるのでしょう。
あなたは本当の意味で、人生を味わいつくすことになるでしょう。

 

こわい?
そのお気持ちはよくわかります。
怖いと感じるという事は、それだけ本当の自分が、自己主張を始めているという事なのだと思います。
その本当の自分と会ってみたいと思いませんか?
のびのびと、やりたいことを躊躇なくやる自分と出会いたい。
そう感じませんか?

 

もし、そうだとしたら、おすすめの講座があります。
あなたの心の中の本当の自分と対話することが可能になる、NLPの全容を学んで頂く実践型の講座です。
今までの人生に、一区切りつけてみませんか?

「ノウハウ」は誰かが通った道

世の中にはいろんな、ノウハウ、ハウ・トゥがあります。
多くの人は、簡単にできて、すぐ効果が出るものを求めます。
そういったニーズがあるので、今や世の中は簡単ですぐ効果が出ることを謳うノウハウがあふれています。

私も、簡単で、すぐ効果が出るノウハウ、大好きです(笑)

そんなノウハウも、だれか試した人がいるわけで、誰かがやらなければそれは世に生まれません。
じゃあ、そのノウハウを開発した人、求めたい結果があってそれに一直線に進めたか?というと恐らくそうではないのだと思うのです。

 

一生懸命考えて、やってみる。
やってみて上手くいかなかったことを変えてみる。
で、気が付いたら何かしら、出来るようになっているわけです。
その道のりを振り返って、まとめたものがノウハウといえるでしょう。

 

ノウハウとして出されるものは、失敗の内容はカットされます。
しかし、実際は、うまく行っていないこともけっこう大事で、うまくいかなかったから成功できた、というケースは結構あるんじゃないかと思うのです。

 

また、目的に沿った結果が出たわけじゃなくて、ある目的に向かって試行錯誤してきた。
しかし、実はできたことは、当初の目的とは違うものだった、という場合もあるようです。
違う場面で使ってみたら、すごくいいノウハウだったって感じですね。

 

どんな形にしても、ノウハウができる過程というのは、間違いなく言えるのは、はじめの一歩があるってことです。
目的をもって、一歩踏み出す。
すると、経験知(経験値ではありません)が見につく。
それをもとに次のステップを踏み出す。

一つ一つ階段を上っていく感じですね。

読者の方は、新しいノウハウを生み出したい、と思っている人ばかりではないでしょう。
それでも、何かを始めて、それを上手にやろうとすると、ノウハウとしてまとめるかは別として、コツを知る必要があります。
それは、実は机上の知識ではなかなか得られないものです。

また、今までと同じことをやっている限りにおいては、結果はそうそう変わるものではありません。
ゴルフの成績が振るわなければ、わずかでもクラブの持ち方、振り方を変えるでしょう。
変えた結果、何が起こったかを分析し、次に何を買えるかを考えるわけです。

 

人生、仕事、勉強、すべてにおいて同様で、まずはやってみる。
そしてそこで知った経験知をもとに次のステップを考える。
それを積み重ねた結果が、ノウハウと呼ばれるものになっていくのではないでしょうか。
経験なくしてノウハウは生まれません。

 

ぜひ、はじめの一歩を踏み出してみてください。
そうすれば、あり得ない刺激に、驚く事でしょう。

その一つとして、NLPも加えて頂けると、とてもうれしく思います。

 

急ぎの仕事が溜まっているときに限って机の掃除をしたくなる心理

○日までに資料を準備しなければならない。
わずかな期間でこの仕事をやりきらなければならない。
締め切りがある仕事なのに、一向に進まない。

こんな時に、なぜか余計なことが気になる。
例えば、机の上を整理したくて仕方がなくなったり、
日頃は気にも留めないのに急にギターが弾きたくなったり、
長い間積みっぱなしだった資料が気になったり。

 

私の場合、学生時代のテスト前にこんな行動をとりがちでした。
今もまた、早く仕上げなければならない資料があるのに、このブログ書いています(笑)

 

これを、セルフ・ハンディキャッピングと言います。
余計なことをやって、
・準備する時間がなかった
・忙しすぎた
などという自分に対する言い訳を作っているのだと言われています。

能力の問題ではない、と自分を納得させたいのでしょうね。

 

とはいえ、自分に言い訳ができようが、出来まいが、出てくる結果は同じ。
出来れば避けたいところですね。

 

テストの場合はともかくとして、仕事に関しては必ずしも、セルフ・ハンディキャッピングとは言えないような気がします。たとえば、シンプルに表現するなら現実逃避ですね。
向かい合いたくない仕事から、目をそらすという行為。
どちらかと言えば、こっちの方が多いのかもしれません。

 

こういったときには、ちょっとした息抜き・気分転換というのは有効だと思います。
一定時間仕事から離れて、頭を切り替えてもう一度立ち向かってみる。
こういう時に瞑想や、ヨガというのは硬貨があるものだと思います。
スティーブ・ジョブズやGoogleが瞑想をすすめているのは有名な話ですが、煮詰まったときにはとてもいいと思います。

 

また、締め切りがある仕事というのは、やはりストレスを呼び込みます。
ストレスは短期的なものであれば、脳を活性化させるスパイスでもありますので、しっかり向き合ってみるというのが大事な時期もあるでしょう。

 

どんな形であれ、ちょっと気がそれたな・・・
そういうことをまずは、自分で感じ取ることが大事なのではないかと思います。
そういったときに、いっその事気分転換として、掃除をしてみるのもアリですし、
ちょっと外を散歩するとか、違う仕事を少しの時間やってみるとかは、一つの解決策ですね。

もちろん、キチンと元の仕事に戻ってくるという前提ではありますが。

 

もし許されるなら、その日でかたずけてしまおうと出ず、明日の朝いちばんにやってみるというのもお勧めです。朝の脳の状態は、クリアな状態なので朝の重要な時間を使ってかたずけていくというのも試してみてください。

そういう意味では、朝一番の時間の使い方はとても重要です。
つまらない作業に費やす事より、創造的な仕事に充てるよう工夫してみてください。

NLPを学ぶと、無意識にやっていたことを意識的に感じ取ることができるようになります。(もちろんそういう意識を持ち続けていれば、という話ですが)
そうすると、身体の使い方、頭の使い方を、論理的に理解し、考えていく事が可能になります。

ただ、ぼんやりと「やる気が出ないなぁ」ではなく、なぜやる気が出ないかがわかります。
そうすると対処する方法もある程度は明確になってきます。
そうやって自分の心や体と上手く付き合っていく方法、つかみ取れるといいですね。

では、わたしも、そろそろ元の仕事に戻ります・・・

 

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