人生100年時代のマネープランにFPはどう対処していけばいいか?

 

人生100年時代という言葉が、今のキーワードの一つですね。
その元ネタとなった本、「LIFE SHIFT(ライフシフト)」ではなるほど、と思わされる内容が満載です。

たとえば、これまでのライフステージは3つに大別されたといいます。
〈教育〉〈仕事〉〈引退〉の三つのステージです。

ざっくりいえば、20歳くらいまでは教育のステージ。
学校で学ぶことが青少年の勤めです。
彼らは、これから社会出て必要となることを学び、それを活かして就職する。

二つ目のステージは仕事。
だいたい、20歳前後から60歳代くらいまででしょうか。
この期間は一日の大半を勤務先で過ごし、仕事をして糧を得てきました。

三つ目のステージは引退。
会社を退職したのちの、いわゆる老後生活と言われる期間です。

 

ファイナンシャルプランナーの今までの仕事は、この3つのステージをもとに考えられてきました。
<仕事>の期間に稼いだ一部を蓄え、<引退>期間の生活を担保する。
結果として、公的年金のシミュレーション、保険や金融商品での運用、そんなことがFPが扱う話の中心でした。

 

さて、ここで長寿時代がやってきたわけです。
今までの人生はまあ長くて80歳までのイメージでした。
それが100年時代になる。
つまり、20年の延長です。

 

話を分かりやすくするため、年齢の刻みをシンプルにします。

20歳~65歳の45年を<仕事>ステージだとしましょう。
寿命を80歳と考えると、
65歳~80歳の15年を<引退>ステージとします。

この時点で、45年間で引退の15年間の生活費を準備することになります。

 

これが100年寿命の時代になると、
<仕事>ステージが45年間
65歳~100歳までの35年間が<引退>ステージになります。

つまり、45年で、引退後の35年の生活資金をためなければなりません。
普通に考えて不可能でしょう。

 

さらに、年金支給額は減る傾向と考えるのが一般的でしょう。
金融商品はほとんど運用益を出せない状況。
社会保険料の負担は大きくなった今、より長い老後生活の準備なんてできるはずがありません。

 

一方で、国もこの<仕事>期間を長くしようと考えているようです。
定年年齢が、70歳、75歳と伸びていくかもしれません。
じゃあ企業としてそれが望ましい状況かと言えば、おそらくそうとも言えないでしょう。
企業だってギリギリでやってます。
できることなら新陳代謝を測りたいところ。

 

そこで、LIFE SHIFTが提案するのは、<仕事>ステージの中間に<教育>ステージをもう一回はさみましょう、と。
その根拠は、一時期の学習機関で学んだことが有効なのは、せいぜい40歳代ぐらいまでが限界ではないか?というのです。
だからその後の数十年に備えて、もう一度ちゃんと別の専門分野を学ぶべきだ、と。

こういった流れが、国の制度として確立するかどうかはわかりませんが、おそらく個人レベルではこういった戦略は持たざるを得ないと思います。
そういった流れの一部となっているのが、今でいう副業ブームではないでしょうか。

二つ以上の専門分野を持ち、それをうまくミックスさせて新たな仕事のジャンルを生み出す。
これが今の時代に求められていること、とLIFE SHIFTでは言っているように思います。

 

本書では、ファイナンシャルプランだけで、100年時代を乗り切ることは難しい。
そもそものライフプラン、つまり人生の在り方を見直す必要が出てくると言っています。
(本書については、経済学的観点のシミュレーションなども行われており、FPの方は必読の書です)

 

さて、ここでFP(ファイナンシャルプランナー)としてはどう動くべきでしょうか。
本当に100年人生時代がやってきつつある今、マネープランだけで何とかなるか、一度シミュレーションしてみるといいかもしれません。
いろんな数値を仮定してみても、たいていは老後が破綻するか、今の生活が破綻するかのどちらかでしょう。
そして残念ながら、そのシミュレーションがある日突然使い物にならなくなる可能性もあります。
たとえばですが、年金制度の廃止とベーシックインカムの導入です。
今の日本ではまだ極端な施策として注目されていませんが、海外では試験的導入などが始まっています。
すると、マネープランは根底から覆されますね。

もし仮に、そういった状況が出てきたとすると、人は「働く理由」を探し始めます。
きっと多くの人が混乱状態になるでしょう。

 

さて、そろそろまとめていきましょう。
●もしかしたら人生100年時代が訪れたとき、今までのように一つの会社で終生勤めあげるという文化は崩壊するかもしれない。
●人それぞれに、未来を見越した自身の人生戦略を考えなければならない状態になるかもしれない。
●お金の在り方や収入の形態は、今とは全く違う状況になるかもしれない。
●お金のやりくりだけで人生100年時代を乗り切るのは難しそうだ。
●人は2つ以上の専門分野を組み合わせて、新たな価値を創り出さなければならないかもしれない。
こういった現実が訪れたとき、FPは単なるお金の専門家として生きていけるでしょうか?
もちろん超高度に専門化したトップクラスの人はそれも可能かもしれません。

しかし、一般のサラリーマン世帯をクライアントに持つならば、その専門性は発揮する機会が少ないかもしれません。
その時に注目したいのが、「2つ以上の専門分野を組み合わせる」ということです。

 

人生の伴走者となるべくFPを志した方であれば、その人生をファシリテート(対象の相手の成果が上がるよう支援する)するというコンセプトはわかりやすい流れではないでしょうか。
その時に必要なのが、カウンセリングや、コーチングといったスキルや考え方になります。
未来に生きるFPならば、速い人はすでに学び始めているのがNLP。
一度体験してみませんか?

 

 

 

大富豪がエコノミークラスを使う理由

ある本に、映画監督トム・シャドヤックの話が紹介されていました。
かれは、ジム・キャリーと組んで、「ライアーライアー」などのヒット作を手掛け、その後、エディ・マーフィー、ロビン・ウィリアムズ、モーガン・フリーマンなどとともにヒット作を続出させていました。
個人資産は5000万ドルを超えると言われ、移動はプライベートジェット。

まさに憧れの大富豪生活です。

しかしかれは、ある時感じたそうです。
「生活は快適だったが、幸福感が増すことはなかった」と。
むしろ、居心地が悪かったといいます。

彼は巨万の富を得、ハリウッドの華やかな人々がするのと同じように、生活のレベルをどんどん上げていった。
それが自分を幸福にする・・・というより、それが当たり前だと感じられる世界です。

しかしあるとき、彼はそのことに疑問を感じた。
そして、飛行機をエコノミークラスに変え、近所の移動は自転車で。
彼にとってはそれで十分なのでしょう。
映画も、商業主義に徹するのではなく、自分の撮りたいものを撮る。
彼はそういった生活を「自分を満たすため」とインタビューで語っているそうです。

 

さて、この話、信じられるでしょうか?
一般的には、一度上げた生活水準を下げることは非常に難しいと言われます。
しかし彼はいとも簡単にやってのけた。

まあ一つには、一旦、大富豪の生活をしてしまったから「こんなものか」とわかったというのがあるでしょう。
そこを経験しなければ、自分にとって魅力的な生活ではない、ということを知ることができなかったかもしれません。
とはいえ、その快適な世界の中に身を置いてなお、何が足りないのかを導き出したのは彼だからこそ、と言えるのではないかと思います。

 

私たちの多くは、これほどの富を手にしたことはない。
しかし、自分にとって何が必要かを問うことはできます。
富が必要なのか、それともそれ以外のものが必要なのか、ということを。
多くの方は、精神的な幸福を求めているものである、というのが定説ではあります。
しかしそのことを知るには、富みへの盲目的な信仰をいったん捨てる必要が出てきます。
その最短距離は、自分が富める経験をしてみることなのでしょう。

何を選ぶかは、あなたの自由。
富を目指すもよし、それ以外でもよし。
しかし、最も不幸なのは、自分が何を目指したいかがわからず、雰囲気だけで富を得たいと信じている事ではないでしょうか。

その奥にある本心を知るには、ちょっとしたコツが必要です。
そのこつをNLPでお伝えしています。
よければ、NLPの世界に、少し足を突っ込んでみませんか?

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86歳の老人は何を感じていたのだろうか?

ある86歳の一人暮らしの老人がいます。
彼は、自宅の一室で一日を過ごします。
食卓の上にテレビを置き、そこから手の届くところに冷蔵庫を置く。
椅子に座ったまま、ほとんどの用事を済ませることができます。

たまたま、私が訪問するとこんなことを言っていました。
「わしゃぁ、何のために生きてるんやろな」

 

その方は、現役時代は、ちょっとした化学工場を経営していました。
社員も40名ほど抱え、そこそこの事業です。
とはいえ、時代の波についていくことができず、70歳のときに会社を締めました。
決して貧しくはないけど、特別裕福でもない。
そんな状態で、奥様を亡くし75歳から独り暮らし。

わりと頑固な人だったので、子どもとの関係はあまりよくありません。
一人になった時、彼はそのことを後悔していました。
「とはいえ、ワシにもプライドがあるからな」
と自分から仲直りを言い出せません。

 

まあ、それはそれとして、彼が繰り返し言う言葉は
「何のために生きているのか」
ということ。
それなりに仕事にまい進してきた。
一時期はそれなりに羽振りもよかった。
けど、人生が終盤に差し掛かってはじめて、自分が生きている意味を考え始めました。

「いったい何のために生きてきたんやろ」

そんなことをつぶやきながらも、
「もう早くお迎えが来てほしい」
そういつぶやきます。

 

そして、先日。
彼は87年の人生の幕を閉じたと連絡を受けました。

彼は、人生に満足を感じて最後のときを迎えられたのでしょうか?

 

 

ある人は言います。
「死なないために生きている」
どうも投げやりに聞こえますが、実際はそういう人、多いのではないでしょうか。

今安定した仕事についている。
これは、「飢えない=死なない」ためにやっている事。
それなりに平和な家庭を気付いている。
それがすべてならいいのですが、家族はいずれそれぞれの道を歩みます。
今が幸せならいい、というのは間違いではないと思います。
しかし、その幸せは永遠に続くものでしょうか?

 

一方、使命を見つけた人は強い。
使命とは、命を使うと書きます。
自分の生涯をかけて、何かをやり遂げることです。
大げさに聞こえるかもしれませんが、誰しもが、今の世の中に何かしらの影響を与えることができます。
100年後、1000年後の自分のあり方を考えていくことで、それが明確になることもあります。

 

単に日々を平和に過ごすことを選ぶのも一つの道です。
しかし、それを積極的に選んでいるのか、一度自分に問いかけてみる必要はあるような気がします。
ちなみに、死を前にした人が後悔したことの中で、割と多いのが「やったこと」に対する後悔ではなく、「やらなかったこと」に対する後悔だといいます。
あなたは、やり残したことはありませんか?
そもそも、本当に何をやりたいかに気づいていますか?
もし、モヤモヤとして見えないのなら、NLPでそれを見つけるお手伝いができます。

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人生の楽しみ方、知ってますか?

あなたは、海外旅行にいった事がありますか?
私の初めての海外旅行は、新婚旅行でした。

大学時代には、当時は卒業旅行と称して海外旅行に行くのが当たり前の時代でした。
彼らがいろんなところへ行くのを横目に、私は車を買うためにバイトをしていて、そんなところでお金を浪費するのはもったいない。
そんな風に思っていました。
そもそも、あまり旅行に興味はなかったので、海外だって同じでしょ、と思っていました。

ということで、海外旅行デビューはずいぶん後になってしまったわけです。
それでも、当時は、決して海外旅行をする人をうらやましいとは思いませんでした。
なぜなら、海外旅行の楽しさなんか知らなかったからです。

 

で、新婚旅行でどこに行く?
ということになりました。
まあ、実際のところ、どこでもいいや、という感覚ではありました。
何しろ、海外旅行の楽しさなんて知りませんから。
とはいえ、相応の期間会社を休む理由としては、新婚旅行というのは絶好のチャンス。
ということで、いろいろ考えた末、
海に行きたい。
あと、映画が好きなので、ハリウッドに行きたい。
この二つをかなえる旅行にすることになりました。

まず、アメリカのLAにある空港に降り立ちます。
学生時代の地理の授業で、アメリカ西海岸が温暖で乾燥した気候であることは知識としては知っています。
けど、真冬だけど、現地の人は短パン・Tシャツで歩いているとか、
汗は出てもすぐに乾くから服が汗で濡れないとか、
日本との圧倒的な日差しのきつさの違いとか、
こればっかりは、実際にその場に行かないとわからない経験を次々とします。

アメリカは訴訟社会だ、なんて言って冷たい印象がありましたが、ちょっと田舎のショッピングモールに行くと気のいい若者が困りごとを助けてくれる。
陽気な人たちは、常に明るく挨拶してくれる。
ある地では、おばさんにつかまって、30分くらい英語で話しかけられて、こっちは頷くばかり。
30分後「あなた英語ができないのね!」と言われて、解放されてほっとするやら悔しいやら。

いい経験も、そうでない経験も含めて、ああ、自分の知っているアメリカっていうのはほんの一部なんだな、と感じたのを鮮明に覚えています。

 

海外旅行が好きだという人は、きっとこういう中にいることが、楽しくて刺激的なんだろうな。
いってみて初めて分かったわけです。

 

なぜもっと早く、この楽しさを知ろうとしなかったのかと後悔しました。

学生時代なら時間はいくらでもある。
だから、行こうと思えば海外旅行もいけたわけです。
けど、今となっては社会人。
そうそう遊び歩くわけにもいきません。

 

経験することなく、私は「海外旅行も国内旅行も一緒でしょ?」「ガイドブックや映画の中の海外を知れば、だいたいのことはわかるでしょ?」なんて勝手に思い込んでいたわけです。

 

さて、このことは人生でもよく起こります。
今の生き方が、何のトラブルもなく、そこそこ幸せ。
そうすると、その中で満足したつもりになります。

けど、そういう人が、例えば余命6か月です、と言われたとしたらどうでしょうか。
やり残したことをリストアップしてみると、いっぱいあるんじゃないですか。
しかも、それをやってみれば、もっとやってみたくなることがほとんどです。
なのに、今はストップをかけてしまってるわけです。
それは人生の楽しみを知らないでいようとしているのかもしれません。

 

なぜなら、もっといろんな経験をすれば、いろんなところに関心が及びます。
そうすると、人とは違うことをやりたくてしょうがなくなるかもしれない。
仲間とは違う道を進みたくなるかもしれない。
一人、地元を飛び出したり、
一人日本を飛び出したりしたくなるかもしれない。
それが怖いから、私たちは目の前に見える世界以外を見ようとしないようにしているのかもしれません。

 

一度知ったら戻ることはできません。
けど逆に、知らないで100歳が近づいたとき、あなたはこういうかもしれません。
もっと早く人生の楽しみを知っていればよかった、と。

さて、最後の息を引き取るとき。
あなたはベッドに寝かされ天井を見上げ、
後悔ばかりを思い浮かべる人生を望みますか?
それとも、精いっぱい楽しんだなぁ、と悔いのない最期を望みますか?
その時は、刻一刻と近づいています。
決断は、早いに越したことはありません。

もし、人生の楽しみをしゃぶりつくしたいなら、きっと私どもがお手伝いできるのではないかと思います。

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10秒台の壁

皆さんは、”10秒台の壁”ってご存知ですか?
陸上競技の花形、100メートル走での記録を紐解くと、
1960年に10秒0が記録されました。
そのご、実に8年にもわたってその記録は破られませんでした。

1968年、
1977年、
それぞれ10秒を切る記録が出ました。
しかし、それは「高地記録」として記録されたそうです。

 

平地での10秒を切る記録は
1983年カール・ルイスによるものでした。
9秒97という記録です。
これが平地における10秒を切った初めての記録とされているそうです。

その後は、1988年、1989年、1991年、1992年、1993年・・・
続々と9秒台の記録が達成されています。

 

この変化を、トレーニングの変化だったり、
ある時期にはドーピングの疑いがかかったり、
いろんな説明がされています。

 

しかし、こんな側面はないでしょうか?
不可能と思われていたことが、誰かが成し遂げたことで可能だとわかった
ということです。

 

たとえば、ビジネスで考えてみましょう。
海外展開なんて、俺たち零細企業には無理、なんて思っていたとします。
しかし、仲間の一人がチャレンジした。
彼を応援する気持ちもあるけど、どうせうまくいかないだろう。
そんな風に眺めていたとしましょう。
彼はとても苦労した。
会うたび、大変な状況を話してくれる。
けど、やり遂げてしまった・・・。

すると、仲間のうち、もう一人がチャレンジを始めた。
一人、また一人と海外展開を進めていく。
こんな輪の中にいると、私たちは、そのことが
あたりまえ
の現実としてはなされる。

 

別のたとえを考えてみましょう。
自転車です。
子どものころ、自転車の練習をだれもがします。
倒れてけがをしたりするけど、乗れない、とはだれも思っていません。
なぜならば、友達のアイツも、コイツも、みな当たり前に自転車に乗っているからです。
乗ることができる、それが当たり前。
そう思って練習するから、誰一人脱落することなく自転車に乗れるようになります。

 

人間が変化をするには、付き合う仲間を変えよ。
そんな風に言われることがあります。
それはもっともな話です。
現状に愚痴を言うだけの人たちの中にいたり、
小さなコミュニティで満足している人の中にいたり、
今以上の発展はないと考える人の中にいて、
果たして自分は成長できるだろうか。

私たちは、自分の成長を望むなら、
前を向いてチャレンジする人と付き合わなければなりません。

私たちは付き合う相手を選ばなければなりません。
もし、少しでも良い人生を送りたいなら、ですけど。
あなたが「できる」ことを見せてくれる人、
あなたが「できること」を見せてあげる人、
そんな仲間の中に飛び込もう!

 

なれ合いの中で、変化は訪れません。

 

不満はないけど満たされない人生を送っているとすれば・・・

仕事の環境は、絶好調とはいいがたいけど、悪くもない。
幸いに、サザエさんのテーマ曲を聴いても憂鬱というわけではない。
家庭の人間関係も、サイコー!とは言えないものの、悪くもない。

ただ、何かが足りない気がする。

朝目覚めると、歯を磨いて服を着替えて会社に出勤する。
会社では与えられた仕事を粛々とこなす。
休憩時間や昼休みには、周囲の人間と談笑し、時折彼らと飲みに行く。
その時はそれなりに楽しんでいると思う。

ただ、何かが足りない気がする。

趣味といえるものもいくつかある。
休日にはゴルフに行ったり、映画に行ったり。
スポーツジムで身体を鍛え、たまにはおいしいものも食べに行く。
決して、生活に困っているわけでもないし、それなりに楽しんでいる。

ただ、何かが足りない気がする。

 

そう考えて、自己啓発の本などを開いてみる。
目に飛び込むのは、目標を明確にせよ、とのこと。
目標か・・・。
年収が三倍くらいになったら、いいかもな。
思いつくのはその程度。

ああ、マイカーがベンツとかだったらいいかも。
欲しい時計があるんだよな。

それらがなくても、そこそこ満ち足りた生活をしている自分に気づく。
自分が本当に欲しいのは、こんなものじゃないのかもしれない。

 

ある時に、無謀なチャレンジをする人たちの事がテレビで報じられていた。
〇歳にしてエベレスト登頂、
一念発起して会社を立ち上げた、
自転車で日本一周!、
激しく政治運動に燃える若者、
仕事をなげうってボランティアに励む人々。

そんな人たちを
「なんでそんなことするんだろう。。。」
と嘲笑気味に眺める自分。
自分は安定している今が幸せ。
そんな風に言い聞かせながら、視線を落とす。

 

それでも消えない、人生に不足しているモヤモヤした感情がある。
その正体が、自分でもわからないのだけど、このままではいけないような気がする。
かといって、独立起業を目指すようなリスクはとりたくないし、
世界を冒険するなんてありえない。
頭の中で否定する。

 

一つ、おせっかいをさせてください。
長い間、なにかモヤモヤしたものを感じているとしたら、
あなたはそろそろ変化をするタイミングなのかもしれません。

そのモヤモヤの原因は、小さいころにあなたが押し込めてからの中に閉じ込めた本当のあなたが殻の奥底でもがいているのかもしれません。
「僕はここにいるよ。僕を出して。」

 

人は成長の過程で、社会と折り合いをつける方法を学びます。
子どものころ素直に、「やりたい!」と主張したことは、「我慢しなさい」とたしなめられていたことがたくさんあるでしょう。仮に歌を歌いたい!とおもっても、頭の中のもう一人の自分がこういいます。「年甲斐もなく・・・。お前には今の仕事があるだろう。」と。

もしかしたら、書くことを仕事にした、絵をかきたい、ダンスをしたい、
いろんな思いを殻の中の自分は駄々をこねているのかもしれません。
しかし、大人になった私たちは、そんな駄々っ子の自分を「見ないふりをする」習慣を身に着けています。

 

だから、あなたの考える常識を外れた欲求は、即座にあなた自身が打ち消すのです。
「自分は本当はこんな仕事がしたい!」と思ったものを「なにをいってる。ここまでの地位をえて今さら転職や起業なんてできるはずない」と押し込めているのです。

抑えたあなたの感情があなたの心を揺さぶります。
あなたが、「何か足りない」と感じるのは、心の中に閉じ込めた本当のあなたなのかもしれません。それを解き放つとき、何が起こるのでしょう。
あなたは本当の意味で、人生を味わいつくすことになるでしょう。

 

こわい?
そのお気持ちはよくわかります。
怖いと感じるという事は、それだけ本当の自分が、自己主張を始めているという事なのだと思います。
その本当の自分と会ってみたいと思いませんか?
のびのびと、やりたいことを躊躇なくやる自分と出会いたい。
そう感じませんか?

 

もし、そうだとしたら、おすすめの講座があります。
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禁断の”人を動かす”テクニック NLPで人として成長しよう

ある実体験をお話しします。

仕事上の取引関係にある、某企業の担当者の方といくつかやり取りがありました。
基本的な取引とは別で、相手の方の人脈を考えて一つ頼みごとをしました。
もし、Aさんという方をご存知だったら、紹介してほしい、という内容です。

Aさんは本の著者です。
有名な方でもあるので、そもそもダメもとのお願いです。
少なくとも、自分よりかはその方に近い人脈を持っているんじゃないか?
という勝手な想像でお願いしてみました。

 

相手の方は、同僚にいろいろ聞いてくれた結果、こう返事をくれました。
「いろんな部署に聞いてみたが、直接の知り合いはいなかったようです。
お役に立てずごめんなさい。」

 

さて、それからしばらくたって、別の事でもう一度お願いごとをしました。
それも半分はダメもとでのお願いです。
その前提でお話をしたのですが、やはり予想は的中。
「今の段階では、お役に立てそうにありません。」

 

その後、その方は事あるごとに申し訳なさそうにこういいます。
「いつも仕事上ではお世話になりっぱなしなので、何かお返しできればとおもってはいるのですが。」

 

ドライに考えるなら、仕事上のお話は、契約に則って納品し、その対価としては報酬を頂いているわけです。時に、短納期で苦労することもありますが、お互いの仕事を円滑に進めるための最低限の気配りをしている程度です。
それでも、相手は、何かしら罪悪感を感じているわけです。

 

ここでまた何かをお願いしたとすれば、きっと相手の方は
「今度こそ!」
とかなりがんばってくれるのは想像に難くありません。

あなたも経験があるのではないでしょうか。
例えば、気の進まない飲み会も、1度断り、2度断るうちに、3度目はそろそろお付き合いしなきゃ、なんていう心境になったりします。

 

 

実は、これをドア・イン・ザ・フェイス・テクニックといいます。
NLPでも交渉術や営業に役立てられるテクニックとして紹介されるものの一つ。
断られるという前提をもとに、作られる話法です。

特に初めに、断られても仕方のない事を頼み、相手が「次は良い返事をしてあげなくては」という心境になっているときに、少しハードルの低い頼みごとをする。
これで、こちらの要望が通る可能性が高まる、というものです。

さて、これがなぜ”禁断”なのか。
それは、その効果ゆえ、という部分もありますが、相手に罪悪感を抱かせることが前提にあるからです。

 

できる事なら、やはりそういった相手のネガティブな気持ちを使って、こちらの要求を通すようなことはしないに越したことはありません。しかし、例えば、どうしても病院に行ってほしい人がなかなか行こうとしないとか、ここさえ乗り越えれば相手にとってとてもいい経験になるはずなのに、というときに、拒絶をかいくぐる一つの手法として使う事が可能です。

 

NLPで教わるテクニックは、強力なだけに、その使い手のモラルが試されます。
そういう意味では、NLPを学ぶとともに、人としての成長も意識していく必要はあります。
当然、NLPの中にはそういったカリキュラムもあり、人を育てるという一面も持っています。

そんな強力なNLPのツールを、あなたも体験してみませんか?

本当に望む人生に近づくには?~NLPで紐解く生きがい

すこし、イメージの世界にお付き合いいただければと思います。

 

あなたは、車通りの少ない広い道をマイカーを運転しています。
あなたの前には、一台の白いセダン。
単調な道を延々と走っていると、そのセダンは突然にハンドルを右に切りました。
車線を乗り越え、反対車線に飛び出します。

このシーンを見て、この白いセダンの運転手は何を思ってハンドルを切ったか考えてみてください。

 

もしかしたら、道に障害物を見つけたのかもしれない。
くしゃみをして手元が狂っただけかもしれない。
スマホをいじっていて集中できていなかっただけかもしれない。
場合によっては、居眠りをしていたという事もあるかもしれません。

 

理由はどうあれ、ハンドルを切ったことは事実で、車が右にそれたのも事実です。

これを分解すると、
ハンドルを切ったきっかけ = 動機

ハンドルを右に切ったという事実 = 行動

車が右に動いたという事実 = 結果
という風に考えられます。

 

小さな違いはあれど、動機に関わらず、行動すれば結果が出る。
この事は動かせない現実です。

 

さて、人は人生の中で、結果を重視することが多いと思います。
年収1000万円になりたい。
大きな家を買いたい。
高級外車に乗りたい。
サラリーマンをやめて自由な暮らしがしたい。
これらは結果ですよね。

 

車の運転の例を考えると、行動を変えなければ結果は変わりません。
まぁ、当たり前の話ですよね。
しかし、逆に言うと、行動を変えれば結果は変わるわけです。
ハンドルを左に切れば、車は左に動く。
非常にシンプルな仕組みです。

 

これが例えば、NLPでいうと
モデリング(なりたい人の真似をする)
アンカリング(感情をコントロールする方法)
など、行動を容易にする助けとなるワークが数多くあります。

最近では、ホリエモンの著書「多動力」がかなりの勢いで売れているそうです。
行動を重視するのはどうも理にかなっているように思えます。
特に、未来の見えにくい今のような時代ならなおさら、様々なチャレンジが必要なのでしょう。

 

では、ここまで無視されてきた、”動機”は必要ないのでしょうか?
実はそんなことはなく、すべての行動の起点は動機にあります。
先の車の例で言えば、同期がなければハンドルは切らないわけです。
けっか、車が動くという結果も生まれない。

 

確かに、動機が伴わなくとも、行動さえすればある程度の結果は現れます。
しかし、意味なく動くというのはなかなかの苦行です。
それを進んでやろうとするエンジンこそが動機です。

特に最近の若い人は、この動機を見失っている人が多いと思われます。
だから、行動ができず、結果も出ない。
その動機を探すために、自分探しをしたりするわけですね。

 

この動機というのは、終局のところはNLPのニューロロジカルレベルで言うところの、
信念・価値観や、自己認識という非常に高次なレベルです。
そうそうそこに到達するのは難しいので、一般的には、
「ワクワクするか?」「楽しいか?」といった基準で判断するよう勧めている事が多いように思います。
これが明確にさえなれば、戦争中の国にボランティアに行くことだってできてしまうほど強力です。

 

しかし、今すぐこれを突き止めようとするより、まずは小さな動機を探る。
もしそれさえもわからないとすれば、とりあえず行動してみる。
そうすることで、少なくとも結果は現れます。
そういった事を繰り返す中で、あなたが本当に望む使命のようなものを見つけられるんだと思います。

これは、何層も奥に隠された部分にあるため、段階を追って、という事になります。
しかし、これもまた、今までと同じことをしていても、見つかるものではありません。
様々なジャンルの物事に首を突っ込んでみて、初めてわかるものです。

 

長期的には人生における「動機」を探りつつ、
行動→結果(変化)を繰り返す。
これが、本当に欲しい結果にたどり着く一つの道ではないかと思うのです。

 

その探求を行うにあたって、NLPはあなたのお役に立てるものと思っています。

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