先日あるセミナーに参加してきました。
そのセミナーでは、自分の「視たくない部分」を見つめるものです。
たとえば、今何か悩んでいたとします。
選択Aと、選択Bとしましょう。
悩んでいるということは、論理的に結論が出ないということです。
Aを選べば、いいこともあるし、悪いこともある。
逆に、Bを選んでも、いいこともあるし、悪いこともある。
これをロジカル(論理的)に、いくら考えても答えは出ません。
たとえば、メリットを点数化して、大きなメリットをプラス2点、小さなメリットをプラス1点。
デメリットを、大きなデメリットをマイナス2点、小さなデメリットをマイナス1点。
こんな風に数値化して、すべてのメリデメをあげて、点数の大きいほうにしよう!なんて決めたとします。
それでも最後の最後、やっぱりなぁ・・・
なんて振出しに戻ることも多いわけです。
こういったときに疑うべきは、自分の思い込みです。
Aを選んだ時のデメリットって、実は自分が思い込んでいるデメリットじゃないか?
逆にBの場合もしかりです。
この思い込みが何なのかを追求していく。
そんなワークショップでした。
するとですね、眠たくなる人が続出するんです。
別にそのワークショップセミナーが退屈だったわけではありません。
自分で考え、書き出したりする手作業の多いセミナーなので、普通寝る人なんてあんまりいません。
なのにうつらうつらと異様に眠そうな人が続出しました。
講師の方と雑談をしているとこんな話が出ました。
「この部分はけっこう寝る人多いんですよ。なにしろ、自分が見たくない部分を見せられるわけですから」
なるほど。
このワークの答えをお伝えすると、ある人はなぜAとBが選べなかったかというと、責任を取りたくなかったから。
選んだ結果、自分の責任が追及され、糾弾されることを恐れていたのです。
実は、どっちを選んでも結果は大して変わらない。
だけど、責任を追及されて嫌な気持ちになりたくなかった、というのが選べない理由でした。
たいてい悩みごとの中には、自分が見たくない、自分の一面があります。
その方は経営者ですから、責任をすべて持つ必要がある(とおもっている)。
けど、AかBの選択を自分がすると、自分が責任を負うことになる(とおもっている)。
もし何か問題が起こった時、自分が矢面に立たされる(とおもっている)。
つまり、窮地に追い込まれる可能性は排除したいから、決められない、というわけです。
経営者が、責任逃れを従っているなんて言うのは知りたくない現実。
しかし、それを知ったうえで、改めて考える。
これを決めたところで、そんな窮地に立たされるものか?と。
いやいや、それは無いだろう。
じゃあ、エイや!で決めちゃえ。
最後はそんな感じになりました。
しかし不思議なのは、自分の無意識はそのことは全部オミトオシなわけです。
こういうワークをやると、視たくない自分と向き合わなければならない、というの予想する。
そこで、寝るわけです。
これ、逃避と言います。
そうやって私たちはとても重要な部分と向き合うことをせずに、生きてきていることが多い。
その視たくない自分と直面するのは怖いかもしれません。
しかし一度向き合ってみれば、それを含めて自分を愛せるようになります。
NLPのワークショップでも、自分が知らない自分を見つけるワークはあります。
もちろん段階を追って・・・ということになるのでさほどダメージを受けることはないと思います。
むしろ、押さえつけていた自分を発見することで、涙が止まらない人も少なからずいらっしゃいます。
本当の自分はここにいたんだ、という喜びの声をたくさん伺います。
そんな体験をしたい人は、ぜひ、NLPのセミナーに足をお運びください。
28歳の時保険代理店業で起業し、保険会社の年間表彰に5年連続で選ばれる会社に育てる。
そのすぐ後、スタッフの半分が一気に会社を辞める事態になり「自分を変えなければ」と発起しNLPや心理学を本気で学ぶ。
『過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる』ことを知り、全国の経営者やビジネスパーソンにもそれを伝えるため、セミナー活動や研修活動をしている。
【保持資格】
全米NLP トレーナー・LABプロファイル®トレーナー
交流分析士・心理カウンセラー・行動心理士