10秒台の壁

皆さんは、”10秒台の壁”ってご存知ですか?
陸上競技の花形、100メートル走での記録を紐解くと、
1960年に10秒0が記録されました。
そのご、実に8年にもわたってその記録は破られませんでした。

1968年、
1977年、
それぞれ10秒を切る記録が出ました。
しかし、それは「高地記録」として記録されたそうです。

 

平地での10秒を切る記録は
1983年カール・ルイスによるものでした。
9秒97という記録です。
これが平地における10秒を切った初めての記録とされているそうです。

その後は、1988年、1989年、1991年、1992年、1993年・・・
続々と9秒台の記録が達成されています。

 

この変化を、トレーニングの変化だったり、
ある時期にはドーピングの疑いがかかったり、
いろんな説明がされています。

 

しかし、こんな側面はないでしょうか?
不可能と思われていたことが、誰かが成し遂げたことで可能だとわかった
ということです。

 

たとえば、ビジネスで考えてみましょう。
海外展開なんて、俺たち零細企業には無理、なんて思っていたとします。
しかし、仲間の一人がチャレンジした。
彼を応援する気持ちもあるけど、どうせうまくいかないだろう。
そんな風に眺めていたとしましょう。
彼はとても苦労した。
会うたび、大変な状況を話してくれる。
けど、やり遂げてしまった・・・。

すると、仲間のうち、もう一人がチャレンジを始めた。
一人、また一人と海外展開を進めていく。
こんな輪の中にいると、私たちは、そのことが
あたりまえ
の現実としてはなされる。

 

別のたとえを考えてみましょう。
自転車です。
子どものころ、自転車の練習をだれもがします。
倒れてけがをしたりするけど、乗れない、とはだれも思っていません。
なぜならば、友達のアイツも、コイツも、みな当たり前に自転車に乗っているからです。
乗ることができる、それが当たり前。
そう思って練習するから、誰一人脱落することなく自転車に乗れるようになります。

 

人間が変化をするには、付き合う仲間を変えよ。
そんな風に言われることがあります。
それはもっともな話です。
現状に愚痴を言うだけの人たちの中にいたり、
小さなコミュニティで満足している人の中にいたり、
今以上の発展はないと考える人の中にいて、
果たして自分は成長できるだろうか。

私たちは、自分の成長を望むなら、
前を向いてチャレンジする人と付き合わなければなりません。

私たちは付き合う相手を選ばなければなりません。
もし、少しでも良い人生を送りたいなら、ですけど。
あなたが「できる」ことを見せてくれる人、
あなたが「できること」を見せてあげる人、
そんな仲間の中に飛び込もう!

 

なれ合いの中で、変化は訪れません。

 

見えている事と、見えてない事

あなたが日頃見るもの・・・
たとえば腕時計でもいいし、スマホのSNSの画面構成でもいい。
あるいは、お気に入りの洋服でもいいし、自分のマイカーでもいい。
これをできるだけ緻密に絵にしてください。

そういわれたとき、どれだけの人が正確な絵を描くことができるでしょうか。
うまい下手の問題ではありません。
おぼえているか、覚えていないかです。

 

毎日触る自宅ドアの取っ手、自転車のデザイン、車のナビ画面の構成、よく読む雑誌の表紙。

 

どれを取ってみても、詳細に描いた絵と実物はそうとう違うものなのではないでしょうか。
いえ、そもそもその形や、色を思い出す事さええ難しいのではないですか?

 

ここからわかることは、人は言うほど物事を見ていない。
見ているようなつもりであっても、見ていないのです。

 

時々こんなことはありませんか?
自宅の鍵がなくなった、といってあちこち探しまわる。
結局諦めて、予備のカギで戸締りしよう、と探すのをやめた瞬間、目の前に鍵が現れる。
なんだ、こんなところにあったのか。
まさに灯台下暗しです。

 

これがなぜ起こるかというと、一節によると
鍵を「なくした」と思い込んでしまった事が、あえて目の前のカギを見えなくしてしまっている、という考え方があります。
思考は現実化する、といいますが、まさに思考を現実にしようと人は無意識に見えなくしてしまうのです。

 

目は、機能としては入る光をすべて脳に伝えているようですが、脳では「今必要ない情報」をカットして意識に認識させるようです。
なぜならば、すべての情報を脳で認識してしまうと、忙しすぎるからです。

 

つまり、自分が必要だと感じない情報は、見えていても見えなくする。
他人の言葉も、入らなくする。
そうやって、莫大な情報量をコントロールしているのです。

では、なくした鍵を見つけるにはどうすればいいか。
鍵が見つかった自分をイメージするわけです。
すると、その状態に近づけるために、脳は情報収集の内容を変えます。
鍵が見つからない自分を作り出すのではなく、鍵が見つかった自分を作り出そうと必死に探すわけです。

 

先の例で行くと、「鍵をなくした自分」というイメージを放棄して、「さがすのやーめた」となった瞬間脳が緩んで、目の前にあるものが普通に頭に入ってくるという不思議現象が起こったのではないかと思います。

 

あなたが描くセルフイメージというのはそれほど重要です。
いま、あなたの頭の中にいる自分は、どんな自分ですか?

 

NLPでそこの書き換え、行っていきませんか?

 

同じところをグルグル回っている原因はどこにあるのか?

今ある状況、満足してますか?
さすがにすべてにおいて満足しているという人は、あまりいらっしゃらないかもしれません。
じゃあ、それを良くしたい、という思いがあるでしょう。
しかし、残念ながら動けない。
それはなぜなのでしょうか。

 

ここでは、営業成績を上げたい営業マンの例で考えてみましょう。

①現状

まず、今が満足のできない状態だったとしましょう。
売上をもう少し上げたい。
けっして、成績が悪い方ではないけれど、このままでは終わりたくない。
だから、もっともっと営業成績を上げたい。
こんなふうに思っていたとしましょう。

②対策

じゃあ、どうすればいいのか。
いろいろ考えた結果、訪問件数を増やそう!となる。
しかし直面するのは、手元にある顧客リストには一通り連絡を取った。
自分の顧客数では足りないことに気づきます。
よし、もう新規開拓をするしかない。
そんな風に決心しました。

③苦難

とはいえ、新規開拓は決して楽ではありません。
未取引企業のリストを目の前にして、いまいち気乗りがしない。
けっきょく、数本の新規の営業電話はしたものの、早々に切り上げて、既存のお客さんのところへ訪問することにしました。

次の日も、電話を前に少し悩んだものの、電話するのをやめて既存客への営業に出かけました。今日は既存のお客さんから注文をもらった。やっぱり既存のお客さんをフォローするのが一番効率がいいに違いない。

そしてその次の日には、新規開拓の事などすっかり忘れてしまいました。

④現実

そうこうしているうちに日々は過ぎていき、月末が近付いてきます。
やはり思ったような成績には至りません。
あ、やばい。
そう思って、色々と考える。
圧倒的に成果を上げるには、やはり新規開拓しかない。
しかし、またもや電話の前でぼんやりするばかり。

 

・・・ということで、けっこうありがちな営業マンの日常。
これ、俯瞰してみてみると、何が起こっているかというと、
行動は何も変わっていない
ということです。

自分なりに、悩み、前に踏み出そうと努力したものの、やっている事は何も変わらない。
とうぜん、行動をしなければ現実は変化しない。
けっきょく、同じところをグルグル回っているばかりなのです。

下手をすれば、こんなことを何年も何年も続けている人、普通にいます。

 

これを抜け出す方法の一つは、エネルギーを充てんする事です。

 

たとえば、どうしても友達との飲み会を断りたくない。
けど、財布の中身は少し心もとない。
ここで飲みに行けば、月末キツイだろうなぁ、と思いながらも飲み会への誘惑を断り切れず言ってしまう。

今ここで、これ以上食べたらお腹壊すよなぁ。
だけど、どうしてもデザートも食べたい。
すると心配しながらもてざーとをたべる。

 

これ、やりたい!というエネルギーが、それを引き留める気持ちより強い、ということです。

 

じゃあ、営業成績を上げたい営業マンのエネルギーはどこから来るのでしょう。
一番をとって称賛されたい?
給与を上げたい?
誰かに褒められたい?
そんな気持ちもあると思いますが、そのエネルギーがまだまだ足りない。
その時に、あなたはどんなものを得ていますか?
どんな気持ちになっていますか?
そこまで突き詰めて考えてみてください。

それがあなたの本当の望みであり、それがリアリティをもってイメージできるものであれば、動かずにはいられないはずです。飛び出してるわけです。

 

そのエネルギーにアクセスする。
これにはちょっとしたコツがいります。
NLPでは、そんなコツも知ることができます。

まもなく締め切りです。

答えはあなたの中にある!?

立場上、いろんな方のいろんな悩みを伺います。
家族関係の事、
人間関係の事、
ビジネスの事・・・。

 

これらは、多くの場合「絶対正しい」という回答はない事が多い。
だから難しいともいえるのかもしれません。

 

たとえば、ある方はこんな相談でした。
社内の社長と、ナンバー2である専務の関係について。
この二人、仲たがいをして一切会話がないそうです。
それを取り持つ、経理の方としてはなんともむず痒い状態です。

社長と専務は、その経理担当の方を通じてしかコミュニケーションできないわけです。
経理担当の方にとって、自分がその役割を担う事については決して嫌ではない。
とはいえ、会社のこれからを考えると、このままではいけないんだと思う、とのこと。

 

どうやら、社内において、社長も専務も、誰の意見も聞き入れない。
唯一、その経理の方のはなしだけは、そこそこちゃんと聞いてくれるそうです。
これ、どうすればいいでしょうか?
そんな相談が持ち込まれました。

 

まあ、現場を知らないとはいえ、そうなった経緯を丁寧に伺っていくと、見えてくる人間関係はあります。いくつかアドバイスできそうなこともないわけでもない。
ただ問題は、そのアドバイスを受け入れるかどうかは、自分次第なわけです。

 

実はその経理の方、あまり社長と専務の関係には深入りしたくないようなのです。
会社の将来云々という話をされていますが、実際のところは会社のトップ2の橋渡し役という立場が自分にとって重かったようなのです。
早い話が、ケンカならほかでやってよ、って感じなわけです。

 

こんな時に、社長と専務の間にどっぷり入って、関係改善を目指しましょう!という提案をしても経理担当の方は、「はあ、そうですね」なんていいつつ、多分結局は動かない。
どんな素晴らしいアドバイスも、本人の本当の想いと合致しなければやらないんです。

良くある話ですが、社長が会社の売上を上げたい、と考えたとします。
方法はいっぱいあります。
じゃあ、今までのやり方ではこれが限界だから、こんなことをやりませんか?と提案したとします。たいていは、「なるほどー」なんていいながら、実際はやらない。
なぜなら、会社の売上を上げたい以上に、自分とその周囲を変化させたくない、という思いの方が強いのです。自分にとって嫌なことを一切寄せ付けず、誰かのサポートで売り上げが良くなればいいなぁなんて思っているわけです。

 

こんな事例からもわかるとおり、人は自分が本当にやりたいとか、やれると思った事でなければ行動に移すことはあまりありません。そんな時、どんな画期的なアドバイスも、多くの場合は「いいね」なんていいながら消えていくのです。

しかし、面白い事に、こういう方に質問返しをしてみます。
「あなたは、どうすればいいと思いますか?」と。
すると、とつとつとしゃべりだすんですね。自分がやるべきことを。

 

ああ、じゃあそれ、やればいいじゃないですか。
あなた、答えもってるじゃないですか。
何て言うと、本人、ハッとします。
実はすでに自分でやるべきことがわかっていたり、決めていたりするものなんですね。

しかし、今一つ踏ん切りがつかないのは、
もっと楽な方法があるかもしれない
もっと効果的な方法があるかもしれない
そんな期待感から、専門家に話をききたがるわけです。

 

ただ、実際は、楽して儲かるとかいう類の話はありませんし、苦も無く人間関係の問題を解消なんて言う話もありません。あとは、そこへ向かう方法として、自分として納得感があるか?自分でできそうだと思えるか?という部分だけなんですね。

 

結局、技術的な問題は専門家のアドバイスで良いやり方は見つけられるかもしれませんが、それ以外の部分に関しては実は、自分の心の奥底に持っている方法がもっとも手を付けやすい事がほとんどなんです。つまり、相談を受けた側としては、あれをやれ、これをやれ、というより、その奥底にある解決を引き出してあげて、背中を押してあげることが一番大事なんじゃないかな、という風に思います。

やらないことは結果が出ない。
人から提案されたことはやらないことが多い。
それならば、自分で持っているこたえ、たとえ稚拙であったとしてもやり始める方が結果が出やすいんじゃないでしょうか。
色んな人を見て、そんな風に感じるのです。

 

殺伐としたオフィスが出来上がる過程

ある保険代理店の事務社員が、こんなことを言っていました。
「保険会社に電話しても、朝礼とか会議とかで、なかなか話が出来ないんですよね…。」
その話、当社も保険代理店をやっているからよくわかります。

平気で、朝礼だから、会議だから、と急ぎの電話も取ろうとしない。
保険会社は売り上げの多くを保険代理店が作ります。
保険代理店はお客さんと直結しています。
つまり、保険会社にとって保険代理店の連絡は、お客さんに関わる話である可能性が高い。
にもかかわらず、何よりも朝礼や会議を優先させる。
いわゆる「顧客ファースト」という感覚からはちょっとずれている気がしないでもありません。

 

そういった大きな会社の中では、一人の顧客に貢献するよりも、上司に嫌われないようにした方が評価が上がる。
そんな文化がある可能性もあるでしょう。
つまり、動機の強さは、顧客のために働くというより、上司のために働く。
もっといえば、自分の保身のために働く。

 

さて、そんな彼の上司の仕事は何でしょうか?
数字達成のための部下への尻たたきだと思っているケースが意外と多いのです。
となると、会議は以下に部下の数字が足りないかを”身をもって”知らしめる時間となりがち。
そりゃあ、メンタルヘルスの問題を抱える社員も出てくるはずです。

 

本来、上司は部下を育てるのが仕事であると考えられるのではないでしょうか。
では育てるというのはどういうことでしょうか。
今、多くの企業で繰り返されているのは、部下に負荷をかけて育てる、ということ。
とにかくノルマを課して、それができなければできるまで追い込む。
残業は増え、社内は殺伐とし、おもったほどに業績は上がらない。
うつ病で休職する人が増え、いじめのような会議のために顧客とのビジネスの機会損失がおこる。

 

上司は1000万円の報酬を受け取り、会社に2000万円の損害を恒常的に与えている。
そんなことだって起こっていないとは言い切れないかもしれません。

 

一昔前は、俺の背中を見て学べ。
そんなこともあったのでしょうが、果たして自己保身に走り、部下をモノのように扱う上司の背中に、学ぶべきものがあるのでしょうか。

 

もう一つ問題があります。
モーレツサラリーマン時代であれば、生きていくためには会社に残り出世するしか方法はなかった。しかし今では、会社をクビになったって即座に死を意味するわけではない。生きるだけなら健康でさえあれば、何なりと方法はあるわけです。

選択肢が今の会社で生涯を暮らすこと、というもの一つではない。
そうすると、働く意義というものを探さざるを得なくなる。

 

こういった部下を導くことを、コーチングといいます。
コーチングの前提には信頼関係が必要です。
NLPではそれをラポールと呼んでいます。
そのラポール構築のために、NLPのテクニックを使うことももちろん一つの手段です。
ただそれを飛び越えた話をさせて頂くと、上司は部下の何を知っているのでしょうか。

 

男か女か?
名前や役職?
住まいや生まれ故郷?
家族構成?
ちょっとましな上司なら、誕生日くらいは覚えているかもしれません。

ただこれって、ただの”情報”です。
何を知るべきかといえば、社員がもっている価値観です。
それを知ることで、社員を伸ばす方法が見えてきます。
ぎゃくに、それを知らずして伸ばせるはずがない、と私は感じているのです。

 

その価値観を上司に開示すれば、部下は上司に全幅の信頼を置くようになる可能性は高まります。上司のために働きたい。そう思ったときの人間の成長は、あり得ないぐらい目を見張るものがあります。

 

うつ病での休職が続出するチームと、目を輝かせて仕事に打ち込むチーム。
あなたならどちらを選びますか?

「断れない」性格の根源にあるもの

人の頼みごとを断れず、いつも大変になるんです。

こういう方、結構いらっしゃいますね。
けど、国語的に言うと正しくない。
人の頼みごとを断る方法はだれしも知っています。
単に「NO」といえばいいだけです。

 

しかし断り切れない。
これは断ることができないではなく、断らないのです。
やりたくないけど、断らない。
人間って不思議な生き物ですね。

 

じゃあ、なぜ断らないのでしょうか。
そこは少し事情が複雑で、
・断って嫌われたくない
・仲間外れにされたくない
・嫌な奴と思われたくない
・断ることで罪悪感を感じたくない

エトセトラ、エトセトラ・・・

 

つまり、断らないことで享受できるメリットがあるわけです。
断らなければ
・嫌われない(かもしれない)
・仲間外れにされない(かもしれない)
・嫌な奴と思われない(かもしれない)
・罪悪感を持たない(かもしれない)
という自分に有利な状況がある事を想像しているわけです。

 

このように、習慣化している行動の影には必ず何かしらのメリットがあります。
逆に、メリットがなければ同じ行動をとり続ける事ができません。

 

さて、ここで考えたいことがあります。
それはNLPでもよく使う言葉「ビリーフ」についてです。
ビリーフという言葉、訳すと「信念」となります。
信念なんていうと、「信念をもってやり抜く」なんていう使い方をイメージすると思いますが、NLPでは微妙にニュアンスが違います。

どちらかというと、「思い込み」といったほうが理解しやすいと思います。

 

この思い込みというのが、時に厄介です。
先程の話に戻ると、前提として、頼みごとを断れば、
・嫌われる
・仲間外れにされる
・嫌な奴
・頼みごとを断るのは良くない事
という前提があります。

 

果たしてそれは本当ですか?
多分事実ではないでしょう。
出来ることと出来ない事をハッキリ主張することで、「この人ははっきりしていてわかりやすい」と評価を受ける事だってあります。
また、頼み事なんて、先方の都合で行ってくるものですから、それを断ることが悪い事だなんて、洗脳めいた思い込みです。

他人をよく観察してみてください。
意外と、あなたが思うよりあっさりと、頼まれごとをスルーしている人、けっこういると思いますよ。

 

ただやっぱり、関係性によっては嫌われることもあります。
けど、単にこちらの意志で物事を断っただけで嫌われるって、相手はあなたを友達としてじゃなくて、奴隷としてみてるんじゃないですか?という風にも考えられます。
あ、もちろん、極論ですけどね。

 

こうやって見ていくと、「断れない」原因は、自分の中のビリーフにある。
そしてビリーフを突き止めると、実は子供のころなどの心の傷や、
常に言い聞かされてきたことに突き当たることがあります。

たとえば、長子の場合「しっかりしなさい」という親の期待の中で育っている。
だから人に頼るのが苦手だったり、失敗することに異様に恐怖を感じ、そのせいで新しい事にチャレンジできなかったりすることもあります。

 

「やりたいことがわからない」という人も同様で、自分の奥底にあるビリーフに気づかないよう感情にふたをすることで自分の本心を見えなくしてきています。そうやって自分を守ってきたのです。
信じられないかもしれませんが、常にダメ男ばかりと付き合っているとか、付き合う女性は自分を金づるにしようとする人ばかり、というケースもビリーフと深い関係性があることが多いのです。

 

さて、実は大人になっても、自分自身のビリーフに気づいている人は少数派です。
だから常に同じような問題に頭を悩ませるのです。
勘のいい人は、その事に気づき、自分の奥に深く沈めたビリーフを掘り起こそうと頑張ります。
ヨガ、瞑想、内観、セラピーやカウンセリングなど、アプローチ方法は様々です。
自分に合ったものを選択すればよいと思いますが、NLPを学ばれる過程で、多くの方がご自身のビリーフに気づきます。

NLPを学ぶと、人生のステージが上がると言われるのは、NLPで対人関係をよくする以上に、自身のビリーフに触れられることの方が大きいのではないか、と私は感じています。

 

そんな自分に触れるために、NLPを学んでは見ませんか?

それは私たちの業界ではできない・・・ってホント!?

会社の経営をやっていたり、経営幹部だったりする人と話していると、
ちょっと「ん?」と思う事があります。
別の業界の成功例を見て、
「あぁ、ウチの業界ではそれ、無理ですね」
と即答する。

 

それ、本当でしょうか?
実は、その方の業界で、普通にやってる人、知ってるんですけどね・・・。
確かに、応用できない業界とか、応用できないスキルってあるとは思います。
けど、即答するということは、
可能性について考えていない
ということではないでしょうか。

考える前に、否定しているように見えるのです。

 

これは仕事に限った話ではありません。
家族との対話、出来ませんか?
もう一度、違う方法考えられませんか?
うまくいく方法、考えてみませんか?
そんな風に聞くと、
それ、無理です。
と即答する。

 

こういう人が成功しない理由は、能力やスキル、ノウハウの問題ではないんです。
可能性について考える前に、出来ない理由を思い描いているのです。
結果、何が起こるかというと、行動が変化しない。
行動が変化しなければ、身の回りで起こることも変化しない。
身の回りで起こることが変化しなければ、どこか満たされない気持ちも変わらない。

 

人生を変えるには、行動を変える必要があります。
行動を変えるには、考え方を変える必要があります。
その考え方を変えるのに非常に有効とされるスキルの一つがNLPです。

「ウチの業界ではむり」
といった人は、自分で自分を制限している事に気づいていません。
そもそも、考える前に”反射”で否定する事にも気づいていません。
まずは、その反射的に可能性を否定する癖に気づく必要があります。

NLPにおいては、その癖に気づくというか、自分の視点がどのあたりにあるかを気付くワークがあります。そういった事で自分が何を見て、物事を判断しているのかを知っていただきます。

 

そう、まずは、自分の今の状態を知ることから始めるのです。
すると、もう少し踏み込んで考えれば答えが出るかもしれない問題を、反射的に”無理”とはねのけることをしていればそこに気づきます。そしておこる変化は、「出来るとすれば、どんな方法があるだろうか?」という思考になります。

方法に気づけば、行動が始まります。
行動が始まれば、周囲の反応は変わります。
いいか悪いかはひとまず置いておいて、そこで変化を経験します。

 

経験した変化は、実践知として脳をバージョンアップしてくれます。
この時点で、やったことのないあなたから、経験済みのあなたにすでに変わっているわけです。
そういった事を積み重ねることで、きっとこう思うでしょう。

「あの時考えていた自分と今の自分、ずいぶん違うよな。これだけ自分が変わることができたのは、あの時、”無理”と反射的に応えていたことを”できるならどうするか”と変えた小さな一歩から始まっている」

そんな風に実感するのだと思います。
人が歩いた後に道はできるものです。
あなたが作る新しい道は、どこに続いているのでしょうか?

いや、わたしなんて・・・謙遜の文化が成功を遠ざける!?

おきれいですねー。
お若いですねー。
凄いですねー。

こんな誉め言葉、頂く事もありますよね。
そんな時、あなたはどう反応しますか?

ブンブンと首を振って、
「いえいえ、そんなことありません」
「私なんてまだまだですよ」

いわゆる謙遜ってやつをするんじゃないですか?

 

まあ、日本の文化の中では、謙遜こそが美しいとされてきました。
ただ、それ、ちょっと気をつけたほうがいいかもしれません。

せっかく、きれいだね、わかいね、すごいね、とほめてくれているのです。
仮にそれが社交辞令であったとしても、私たちは相手にその言葉を強要したわけでも何でもありません。
相手が勝手に、自発的に言っている言葉です。

 

そんな言葉は、有難く受け取っておくのです。
「ありがとうございます」
その一言でオッケー。

 

実は、これ、心理学的にも非常に重要な事なのです。
なぜかというと、自分を低く評価する習慣は、自分を小さいにんげんだ、と脳にインプットするようなものです。

ニューヨーク大学でこんな実験が行われました。
学生に作文をさせました。
あるチームは、「しわ」「忘れっぽい」「白髪」「杖」など老人をイメージさせる言葉を組み込んだ作文をさせたのです。
その結果、老人言葉のチームは他のチームより歩く動作が遅くなったといいます。

 

だから、頂いた誉め言葉は、たとえお世辞であったとしても気持ちよく受け取るのが、心理学的には正解なのです。

 

そんなときに、ふっと不安になるでしょう。
明らかにお世辞で言っているのに、真に受けたら笑われるんじゃないか・・・?と。

まず、こちらから見ればお世辞に見えることが、その発言をした相手が本当にお世辞で言っているのかどうかはわからないものです。人間、自分の長所はよくわからないものです。なぜなら、何の苦労もせずにできてしまうからです。

たとえば、文章が苦手な人からすれば、1000文字程度のこんなブログを書くことに2時間も3時間もかかる場合があります。そんな人が、「このブログ、大体15分くらいで書いてる」なんて聞けば驚きでしょう。

けど、15分で書いてる人にとってはそれが当たり前。
皆もっと早く、立派に書いてるんじゃないの?と思いこんでるわけです。
だから、お世辞に聞こえても、お世辞ではない事というのは結構あるものです。

 

もう一つは、真に受けて笑われることをなぜ恐れるのか?ということ。
相手が勝手にお世辞を言って、勝手に笑っているとしたら、それで私たちに失うものがあるのでしょうか?
ん?自尊心?
確かにそういう一面はあるかもしれません。
けど、陰で笑ってることなんて、私たちに害を及ぼすことがないから、放っておけばいいとは思いませんか?
そう思えない、という事は、自分が自分を認めてあげられていない、という事です。

 

他人から見て自分がどう映るかを重視するあまり、自分としてどうありたいかを忘れてしまっているパターン。他人にどう思われようが、好きに日々を送ったほうが楽なんです。本当は。

 

ただ、すぐにそうなれと言っても難しい。
それは、お世辞を真に受ける事が恥ずかしい事だ、というバカバカしい思い込みを生れてから今までずっと持ち続けており、それが恥ずかしい事だと自分に言い聞かせてきた歴史があるからです。だからある日突然変化するのは難しいかもしれません。しかし、その変化となるきっかけをつかむことができれば、徐々に強制できます。

 

そうやって、心の扉が開かれていくと、たいてい言われます。
「あの人、変わったな」と。
それで離れる人もいるし、新たに繋がる人も出てきます。
これが人生のターニングポイントになる事と思います。

 

もし、今の生き方に苦しさを感じているとしたら、そんな変化のきっかけをつかんでみませんか?

感情をコントロールすると事実のとらえ方が変わる

実は私の友人(女性)が、自宅に帰ったとき、事件は起こりました。
たまたまいつもと違う時間に、家に帰り、リビングで物音を聞いたためそこへ視線を移す。
カーテンの向こうでは人影がさっと動きます。
顔を見ると深く帽子をかぶって、顔が見えない。

ドキドキしながら確認すると、リビングの窓のガラスが割られていたそうです。
幸い二重ガラスだったので、泥棒はあきらめて去ったようす。
ドキドキとなる心臓、息は浅く、手は震える。
一瞬止まった思考が再び回り始め、急ぎ警察に電話をしたといいます。

 

警察が来るまでは、生きた心地がしなかったといいます。
たぶん、向こうから家のなかは見えていないはず。
自分の存在さえ気づいていなかったと思うのですが、また来たらどうしようとか、不安ばかりが押し寄せます。

 

暫くして、警察が到着したときには、ホッと胸をなでおろしたといいます。
それでもどんよりした気分は、一日引きずります。
そんな矢先、今度は子供が熱を出す。
ああ、なんだか嫌な事ばかりおこる。

そんな風に思い始めると、もう、目に見える世界がなんかブルーなんですよね。
どこかしら明るさがなく、どんよりしたシーンに見えてしまうものです。

 

そこで彼女は思い立ったようです。
よし、笑おう!と。
行った先が吉本新喜劇(笑)

 

まあ、笑いこけたようです。
で、何が起こったかというと、
そんな嫌な思いで、すっかり忘れてしまったってこと。
笑う前と後では、見える世界が違ったといいます。

次々と訪れた嫌な出来事も、もうすっかり忘れてしまって、今は元気に毎日を過ごしています。

 

なんだか流れが良くないな、と思うときは笑うのがいいようです。
実は、笑う事で病気が治ったという報告さえあります。
何が言いたいかというと、自分の感情をコントロールすると、事実は変わらなくとも、見え方は変わります。

 

感情を選択するのは、他でもない、自分だといいます。
たとえば、不快な事実が発生したとき、その事にいつまでもとらわれて、嫌な感情を延々と引きずるのは、自分がそういう感情を選択しているという事です。
不快なことがおこっても、スイッチを上手に切り替える人はいますし、そうすると長い時間不快な状態にいることはありません。

常識はずれな隣人がいたとして、その人のせいで一日カリカリするのも、
隣人のことなど気にせず、自分の時間を大切にするのも、選択をしているのは自分です。

 

そういった選択は、たいてい、なにか「得をする」からしている事が多いと言われています。
カリカリと怒っている事で、いたわってもらえるから怒るのかもしれないという事です。
合理的に考えれば、他人の事でいつまでも不機嫌でいても、自分は何の得にもならないからです。

ただ、人間というのは、何事も合理的に判断できるものではありません。
また、あふれ出す感情を、いきなりコントロールしろ、といっても難しいものです。
だからまずは、なにか、コントロールできない感情が前面に出てきた時、「この感情をあらわにすることで自分はどんな徳をしているのだろう?」と問いかけてみると、いずれその感情の正体がわかるときがくるのだと思います。

 

さて、人は笑っているほうが、身体的にも精神的にもよい効果があるようです。
できる事なら、日々笑って過ごしたい。
しかし、目の前に起こることは笑えるような楽しい事ばかりではありません。
その事実を変えることはできませんが、事実をどうとらえるかは変えることができます。
泥棒が来て、恐れおののいていた友人が、笑いでその恐怖を払いのけたように、
あなたも、望まぬ感情は吹き飛ばすことができるはずです。

 

NLPは心の動きを科学します。
といっても決して難解なものではなく、実際の体験を通じてそれを学んでいきます。
そんなセミナーで、心の構造を学んでみませんか?
きっと、ずいぶん楽になることが出てくると思いますよ。

 

新しい事を始めたときのカ・イ・カ・ン

あなたは、最近、何か新しい事をはじめたりしましたか?
もしそうだとしたら、ちょっと思い出してみてほしいのです。

たとえば・・・

ずっとやりたいと思っていたダイエットにチャレンジし始めたとき。
長年、気になってはいたけど、なかなか踏み出せなかったフィットネスクラブの入会。
子どものころやりたいと思っていたギターを買ったとき。
読書習慣をつけようと、一冊の本を手に取ったとき。
英会話を勉強しようと、英会話プログラムを購入したとき。

 

まだ本格的に始めていないにもかかわらず、なんとなく嬉しくなった記憶、ありませんか?

 

もし最近、そんな経験がないとしたら振り返ってみてください。
初めての一人での買い物。
電車に初めて乗ったとき。
祖父母の家に子どもだけで行ったとき。

 

その達成感で、にんまりしてしまった思い出、誰にでもあるのではないでしょうか。
私なんか、人前にもかかわらず、にやける表情を隠しきれず困ったものです。

そんな時、なんだか、今までの自分から一皮むけた感覚というのでしょうか。
今までのオレ、今までの私とは違うんだ。
なんとなく、昨日の自分と違う自分を発見した記憶、あるんじゃないですか?

 

別に、けた外れの成功!ってわけでもないんです。
一気に年収の桁が上がったわけでもないし、30Kgのダイエットを達成したわけでもない。
実は、成し遂げたときよりも、小さな一歩を踏み出せた時の方が、案外うれしい事が多いのではないでしょうか。
このほんのちょっと、自分が進化した感じ。
これが結構うれしいものなんです。

 

このニンマリする感じ、味わうためには、ちょっと躊躇している事に一歩踏み出すだけでOKです。
今まで、やろうと思っていたけど、出来なかったことに取り組むだけでOKなんです。
結果は、あんまり関係ないんですよね。
だって、やり始めたときにはまだ結果は出てないんですから。

 

それでも、何かを始め、続けさえすれば、結果はついてきます。

今の生き方で、何の不満もなければそんなチャレンジ必要ありません。
しかし、もっといい人生をもとめるとか、
今のままではちょっと・・・
という思いがあるとしたら、今までと違った事を始める必要があります。

それは、早寝早起きをするという小さな習慣かもしれないし、転職するとか起業するという大きな決断かもしれない。
人によってそこは様々ですが、なによりまずは小さな変化を起こすことが必要です。
そして、その小さな変化は、あなた自身の悦びにつながります。

 

季節の変わり目を迎えた今、あなたも人生のターニングポイントに立っているのかもしれませんよ。

 

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