ある友人は、学生時代から大阪に暮らしています。
実家は四国にあるのですが、実家には帰りたくないといいます。
なぜか?と問うと「人の目が多くて窮屈だ」といいます。
ある歯科医師がいます。
岐阜県の町はずれに住んでいるのですが、フェラーリを所有されています。
しかし、それを地元の人に知られないよう、少し離れた場所に駐車場を借りています。
わざわざ隣町の駐車場までセカンドカーで走っていき、フェラーリに乗り換えるそうです。
なぜか?と問うと「近所の人に見られると面倒だ」と言います。
地方の良さは、わりと人同士がつながっていて、独特の安心感があります。
たとえば、車にキーをつけっぱなしでも盗難されることはなく、うちのカギを締めたことなどないという人もいまだに多いようです。
誰もが顔見知りであることと、少し語弊がありますが監視しあうことで、安全な「場」となっているのかもしれません。
しかしそこには弊害もあるようです。
仲間意識というのは厄介なもので、仲間とそうでない人に線を引くことです。
だからよそ者が来ると警戒する。
また、仲間の中から、その輪を飛び出そうとした人には、白い目を向ける。
皆が同じであることが、仲間の中では重要なようです。
だから、少数民族が多数存在する地では、言語も民族の数だけあるといいます。
使う言葉で、仲間かそうでないかを見分けるためです。
日本の地方に伝わる方言も、もしかしたらそんな機能があるのかもしれません。
仲間意識というのは、一歩間違うと、異質なものを排除するコミュニティになります。
その結果、地方でフェラーリに乗ってはまずいとか、目立った行動をすると変な噂が立つとか、そんなことを気にしながら生きていくことになります。
それでも不自由がないからと、その中で身を置き、仲間の外の世界を見ようとしない。
なぜなら、外が見えると、自分の生活がどこか物足りないものに見えそうで怖いからではないでしょうか。
NLPでは、人と自分を比較することはあまりお勧めしていません。
誰かがフェラーリに乗っているとか、豪遊しているとか、贅沢をしているとかを気にかける必要はありません。
しかし、気を付けたいのは、日々自分が成長しているのか?という問いは必要だと考えています。
なぜならば、自らの成長は、人間が本来持っている重要な欲求だからです。
思い出してみてください。
初めて自転車に乗れたとき。
難しい試験に合格した時。
自動車の免許を取った時。
会社で大きな業績を上げたとき。
きっと、湧き上がる喜びをかみしめたのではないでしょうか?
こういった目に見える成果だけではありません。
人にやさしくできたとき、頑張っている自分を感じたとき、いつもより早起きできたとき、人は気分が爽快なのではないでしょうか。
大人になると成長を感じる機会はだんだんと減ってきます。
子どものころは、無理やりでもチャレンジさせられてきたことも、大人になれば自分でやろう、と思わなければチャレンジは起こりません。
その時に足を引っ張るのが、いわゆる「仲間」だったりすることではないでしょうか?
いえ、仲間からつまはじき者にされるのでは?というあなた自身の恐れではないでしょうか。
だとしたらとてももったいない事をしているのかもしれません。
なにしろ、人生の喜びを感じる機会を捨ててしまっているのですから。
かなり損をしている、というのが”中の人”とまんトレの共通した認識。
たくさんの体験と、たくさんの刺激の中で、日々成長する人生を実感する。
もしそんな希望が少しでもあるとしたら、NLPの門をたたいてみてください。
28歳の時保険代理店業で起業し、保険会社の年間表彰に5年連続で選ばれる会社に育てる。
そのすぐ後、スタッフの半分が一気に会社を辞める事態になり「自分を変えなければ」と発起しNLPや心理学を本気で学ぶ。
『過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる』ことを知り、全国の経営者やビジネスパーソンにもそれを伝えるため、セミナー活動や研修活動をしている。
【保持資格】
全米NLP トレーナー・LABプロファイル®トレーナー
交流分析士・心理カウンセラー・行動心理士